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2019年02月17日18:51

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外人の視点からの日本

外人の視点からの日本
地域における国際交流場
僕は日本語を母国で少し学習をしてきたはずだがなかなかそれだけでは仕事して行く上で不十分でした。
日本語をもっと勉強したいと思い住まいの地域で僕の希望に答えてくれるヒトがいないだろうかと思い探すことにしました。
住まいの地域には留学生を対象とした日本語だけ学ぶ専門学校はあっちらこっちらありました。
ところが学費が高い上に仕事を辞めて行く方法しかありません出した。
仕事を取るか日本語専門学校を通って言葉の習得するのかを悩まされました。
仕事は生活をかかっているので簡単に辞める訳にはいかなかったです。
どうにかならないでしょうか・・・と思い悩んでいたところが役場の手続きを行ったり来たりする機会あるごとに役場で待っている間に地域の主な活動のチラシをみていた。そこで地域に住まいの「外国人向けの日本語講座」というチラシを見かけました。
時間と場所も掲載していましたので、自分が通う範囲でありこれはいいかもしれないと思いました。
そこで、問い合わせて見ることにしました。是非来て下さいと返事があり、すぐ伺った所ボランティア日本語教室の代表が車で迎えに来て皆さんの同じ中を紹介してもらう事になりました。
ほぼ定年退職者の方々の集まりで、ボランティア活動として外国人を呼びかけて交流会となっていた事も知り、いい・・・この場を利用してみたいと思いました。
私は外国人に取ってそのような日本人と交流場が合って良かったと思いました。
やっている仕事の内容だとそんなに日本語を喋る必要はありませんでしたが基本的に何より腕に力があれば十分でした。
しかし、日本の社会で生きて行く上で日本語はとてもなくてはならない大切な言語である事は当たり前ですが・・・。
自分が来日して初期の事を思い出すと、日本語不足で言いたい事も相手に伝わらず大変苦労しました。
言葉の壁がとても辛いものだと感じました。
そういう事に気づいて、一つでも多くの言葉の意味を知りたいと思いボランティア日本語教室に通いはじめました。
毎週月曜日と木曜日の夜に仕事が終わってから出来るだけ遅刻しないように行きました。
「ある時出来事がありました」、
僕が通って居た日本語教室が市内に大きなイベント開催する事になった。
僕に取っては祭りのようでした。
会場は生涯学習センターで行われ、
多くの人々が様々な国籍を持った外国人達は自分の習った言葉で能力発揮する場でも有りました。
支えて下さったボランティアチューターの方々と一緒になってリハーサルを重ねて一つ大きなイベントみたいな物だったので皆さんは緊張感で張りっめていました。僕はただ観て楽しむ立場を選びました。
前もって開催の日程を地域新聞に掲載を見てそれは多くの観客者が集まりました。
実はこの地域にはグローバル化の波に乗って様々な国のヒトが移住して住んでいた。
僕もこの町に来て二年目でした。
「ここの日本語教室では」
インドネシアやスリランカ、バングラデシュ、中国やネパール、韓国と言ったアジア系それから、
ヨーロッパ諸国からのチェコ人やアフリカ大陸のモロッコやエジプト人、それからカリブ海や南米ボリビアやロシア人との幅広い交流をしてその人たちの異文化を日本語や英語を混じってコミュニケーションを図り会話として楽しんでいた。
たった一つ地球に多くの面積が海で締めているが大陸と言う物が三分の一しかない事には、この狭い範囲のたった一つ地球には様々な民族性や独特の文化を発達して個々には個人性があり、それでも幸せになりたい心や気持ちには変わりがなかった事を小さな日本語教室の場を通して肌で感じました。
「会場は生涯学習センター」
生涯学習センターで行われていたフェアでは皆さんがそれぞれ自国の育った環境や思い出を日本語教室や仕事場やテレビ、ラジオの番組等を通して身につけた言葉を使いスピーチの時間を設けて発表し、自分のアイデンティティーをアピルーしていました。
国際フェアに印象的な思い出
●バングラデシュの夫妻のAさんのスピーチでは、自国の紹介に1947年まではバングラデシュはインドの一部であったがまもなくインドはイギリスの植民地から(解放)独立し、その後まもなくしたらイスラム文化圏はヒンズー文化圏から別れて大きなパキスタンとなりました。
しかし、同じ国でありながら文化も言葉や習慣も違う国パキスタンと別れて独自の国となりたい始めた。何よりベンガル語を失われて西パキスタンのウルドウ語に統一される事が最もいやなことだったから、同じ気持ちが多い人の手段から独立戦争が起こり1971年にバングラデシュ国になって二月の21日には独立記念日であり、夫妻のAさんが自国の国歌を歌いながら世界を平和になる事を祈ってくれました。
大変感情的な表現で会場は溢れていた。
このような事が生で説明を聞くことが出来てとても身近に感じました。

●インドネシアの短期滞在のBさんが自国の伝統衣装で華やかなか姿を見せてくれました。自分の村のお偉いさんに会に行った時にする昔の挨拶技法を紹介してくれました。
近代社会では昔の伝統文化が失われつつあるが一つその国の宝の伝統文化を観ることが出来て印相に残りました。
まさにその地域の旅行しに行ってみたい気分になりました。

●中国ウイグル族の団体が華やかな衣装で自分たちの伝統舞踊を披露してくれて自分も一緒に混じって踊ってみたくなりました。

●スリランカのヒト達の仲間がスリランカ仏教と伝統産業古茶や宝石の豊富な事を持ち出して自分たちのアイデンティティー(日本語)をダンス共に披露してくれました。

僕はそんなに歴史を知っていた訳ではないが、この場で皆さんの生の声で話しを聞くことが出来て
「世界は広いと言えば広い狭いと言えば狭い」
どっちにも捉えられると思いました。
ところが日本の今、現在、お住まいの地域にも独自の伝統文化や習慣が沢山ありますが誰かがこのような場に来てもらい、それぞれを趣味の範囲で専門にされた方が披露していただかなければ外国人に簡単に伝わる訳ではありません。

グローバル化の波に乗って来た外国人は言葉とか生活の仕方は地域事にはそれなりの仕来りが存在しますので分かりにくい事が多いものだと思います。
「地域で活動されている元気なシニア世代の主な役割」
(交通信号や自転車のマナーやゴミの出し方等々日本のルール常識や文化の違いで日常生活に困らないようにこの日本語教室のチューターの方々は一時間半の時間を設けて一生懸命をされている事には感謝したいところです)。
他の地域にはこのような活動があるかどうか知りたくなりますが、
この地域ではそのようなボランティア活動をしておられる方々はちゃんとした登録をされてやれば、ボランティア活動中の災害や危機に備えて保険適用で治療を出来る制動が地域にあってシニア世代の方に取ってやりがえのある事の一つとも言える。

何より世界の人々と交流を深めて相互理解を高めて、引きこもりがちの日々を楽しく過ごせる方法として素晴らしい機会でもあることに違いがない、
外国人の悩みや相談に役に立てて、コミュニケーションを図りたいとの希望に叶える大切な時間でもありますし、
世界中の人々と国際交流を深めて総合理解を高めて仲間作りをすれば意義のある人生を歩む気分を味わえる事には違いがないのだと思います。

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