そりゃ理想は
善く生きながらえること
でしょうよ。
ただ、それこそ!と押し付けすぎて
どれだけの屍のやまが築き上げられてきたか。
頑張らなくていいんだよ
無理しなくていいんだよ
最近はそんな言葉や本が需要あります。僕がそっちにアンテナ張りすぎてるのかな?
さっきの善く生きながらえる
というところから逆算すると
卑しく生きながらえる
そんな括りができると思います。極論なのはわかってるけどね。
ただ、
うーん
生きながらえるに関しては他の選択肢を全く許してない気がする。
早死にすることをよしとしてるわけでない、ただ、生きながらえるに固執しすぎるとそれはそれで生き方に苦しむ人がいる
生きながらえるが融通してくれないから
善きも卑しきに転じないといけない時があるのかなと。
そしたらさ
全うする
という生き方はどうだろう。
卑しさを選べない人はいる
同じく苦しい状態で善を選ぶ人は素晴らしいでしょう。
ただ、その中で卑しきを選んでしまったメンタリティをことさら否定するような感じになるとこれまた押し付けになってしまう。
だったら
善きを全うする生き方もまた
選択肢としてあるといいなと思います。
その一方で無理せず生きながらえることもあって然るべきだし。
だからこそ
棲み分けの精神が必要なのかと思います。
そこに優劣はいらない。言葉として顕在化させると明らかに角が立つから。
ただ、そういう枠組みは頭の中に置いといて
その上で
ある程度自分の領分を徒に侵されない自己防衛の精神があるといいな
ノーブルに生きようとするならば、共依存になっていないか都度見極める。
自分の領分外からさらに遠いところまでズカズカいって自分の領分にひきづりこむことが果たしていいだろうか。
優劣でない
生き方なんだ。
それぞれのコンフォートゾーンの中で生きてるんだ。
同じゾーンのなかで人間関係があればそれでいいんじゃないかな。
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