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2020年05月30日11:12

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まわりうた

みなきしに たからよきふね
  なみたまた みなねふきよら かたにしきなみ

(水岸に 宝良き船 涙また 皆ねぶ清ら 潟に頻波)

解説

ねぶは「年ごろになる。成人する。」「老いる。ふける。」、清ら(きよら)は「気品があって美しいこと。また、華やかで美しいこと。また、そのさま。」、潟は「浦。入り江。湾。」、頻波(しきなみ)は「次から次にしきりに寄せてくる波。」の意味です。

余談

この歌は「大神 オリジナル・サウンドトラック」のDisk4の中にある「太陽は昇る」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

意訳

水の岸辺に、宝を積んだ美しく素晴らしい船が着いた。(ようやくミロクの世の岸辺に着いたこの事実に)涙がまた、後から後から溢れて来る。(私を含め)その船に乗っていた人々は皆、(霊的に)非常に成長した、見るからに徳の高い人々であり、気品がある。

こうして船が入り江に着いた後も、変わらずに穏やかな波が寄せて来ているなぁ。

雑感

ミロクの世の到来を言祝ぐ歌です。

「水岸」という言葉は辞書に載っていなかったが、水神(みなかみ)、水門(みなと=港)などの言葉があるように、この水(みな)の「な」は「の」を意味する格助詞になるので、水の岸という意味で使っている。

なお、この「宝」は、ミロクの世に渡る人々のこと、とも解釈できるかと思う。

国民のことを「おおみたから(大御宝)」ともいうが、ミロクの世に渡るほどの人々は、神から見れば、一人一人が宝のようだということだろう。

そもそも「宝」は「ウ冠+玉」なので、磨き上げた美しい玉(魂)が有る人々、ということかと思う。

人は「神の子」ともいうが、現世から(霊的な)海を渡って、一種の異界である「ミロクの世」に着いた時、浦島太郎の玉手箱の話ではないが、一瞬にして子供から大人、または老人になっている、というニュアンスを感じる。

ただこの大人、老人の意味は、あくまで霊的な意味であって、非常に成長した、という意味に感じる。枯れ果てた、死ぬ間際の、生気のない、とか、そういう意味ではないように感じる。
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