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2020年09月12日00:20

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大坂なおみ選手とスポーツマンシップ

 以前、私は彼女の政治的アピールを《真のスポーツマンシップ》(この単語のPC用語置換えが進んでないのは不満だが、いったんその話はおいておく)だと述べた。スポーツは勝ち負け以前に、フェアであることを重視することだからだ。公平さよりも勝ち負けを優先したら、それはスポーツではなく戦争だ。彼女は純粋に、コートの外を含めて、フェアでない世の中を「スポーツマンシップにのっとって」訴えており、これ以上にアスリートらしい素晴らしい行動はない、と思っている。
 オリンピックでは競技場での政治的発言、パフォーマンスを固く禁じている。それはおそらく、ナチスドイツ宣伝に使われたベルリンオリンピックからだろう。つまり、主宰国が自国の行動を正当化するプロパガンダにオリンピックを利用したことが問題だった。そこでは、出場選手は関係ないし、出場選手を(ドーピングのような不正手段を使って)広告塔として陰で操っていた訳でもない(そのような記録が掘り起こされていないだけかもしれないが)。
 そもそもスポーツの政治利用とは何なのか。もし選手が政府の広告塔として発言やパフォーマンスを行ったなら政治利用だろう。しかし彼女がこれまでの警察官による非業の死を遂げた人々を哀悼するパフォーマンスが「政治的」だと非難される行為なのか。彼女が身近な人々にこれ以上の犠牲が出ないよう、自身が全米OPのコートに立てるポジションを、犠牲者たちに捧げることが政治的なのか。それを政治的と呼ぶなら、8月6日の甲子園第一試合で原爆犠牲者に黙祷を捧げることさえ政治的と言うことになる。
 やはりフェアネスこそがエリートアスリートが放つべきメッセージだ。夢は諦めなければ必ずかなう、と言うメッセージは、夢を見ることができる民族にしか有効ではない。まず誰もが夢を追う人生を選べること。そしてそれは「政治的」ではなく、スポーツを通じてかなえるべき人類共通の願いだ。大坂なおみ選手はテニスプレイヤーとしてだけでなく、1人の人間として心から尊敬する。
■黒人犠牲者の親、大坂なおみのマスクに「心から感謝」
(朝日新聞デジタル - 09月10日 11:25)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=6226525
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