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2020年04月02日21:23

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ドイツ人家庭にホームステイして上手くいくコツとは?

ちょっと自慢話みたいになるけど、僕が30歳の時に1999年春にシュツットガルト近郊に住むH家に3か月間ホームステイをした時に、ホームステイが終わって別れる時には「Gさん(僕のこと)はうちでホームステイした初めてのお客でしたが、私たち家族も色々と勉強できたのでこれからもホームステイの客を泊まらせることにします。Gさんをホームステイさせて良かったと思ってます」と主人と奥さんに言ってもらえたので、僕はとても嬉しかったのです。初めてのホームステイ客と聞いて僕もかなり緊張しましたが、「初めての客として成功した」と聞いた時はとても嬉しかったです。だから、そのホームステイの様子についてちょっと日記に書いてみようと思います。

僕がシュツットガルトの語学学校に初めて行ってホームステイ先のH家を教えてもらった時、H家はシュツットガルト中心部から50キロほど離れたファイヒンゲン・アン・デア・エンツ(エンツ川沿いのファイヒンゲンという意味)という町に住んでおり、片道が電車で40分もかかる所だったので、仙台市中心部に住んでいる僕としては、「何でこんなに離れた所に住んでいるんだ?」ととても疑問に思った。でも、とにかく、電車に乗ってH家が住んでいるちょっと離れた町に行ってみた。

ファイヒンゲン駅についてH家の電話番号に電話をかけてみて、「あのシュツットガルトの語学学校から話を聞いてると思うのですが、あなたの家にホームステイすることになるTG(僕の名前のイニシャル)ですが」とドイツ語で自己紹介をすると、中年女性の声で「行きます、今、迎えに行きます」という返事が返ってきた。僕はドイツに来るのはもう4回目だったので、「恐らく金髪で長身(ドイツ人女性の平均身長は170センチ)のおばさんが車で来るのだろう」と予想した。

それで、やはり予想していた通り、金髪で身長170センチくらいで50歳くらいのおばさんが車から降りてきて僕に笑顔で挨拶をした。僕の方もドイツ語で「こんにちわ。はじめまして。日本人のTGといいます」と挨拶をした。それで、2人でおばさんの運転する車に乗り込んだ。おばさんは50歳のIさんという方であり、主人はRさんという55歳の方で、あとはJという25歳の長男とWという21歳の長女がいて、Wは既に結婚して夫と2人で生活をしているので、娘の部屋が空いてるから僕に使わせてくれると教えてくれた。

それからここから先がちょっと重要なのだが、僕は自分がドイツ語を勉強している理由を教えた。
「僕は子供の頃からドイツ軍に興味があって、それで学生時代には現代史、特に第二次世界大戦の歴史を勉強していたのです。それで、ドイツ軍についてもっと知りたくてドイツ語を勉強しているのです。日本とドイツは第二次世界大戦で同盟して以来、同じ歴史を歩んでますからドイツの現代史に興味があるんです」
奥さんはやはり、ちょっと緊張した顔をして僕の顔を見て頷いてからこう言った。
「そうですね、あなたは日本人だからその可能性はありますよね。私のお父さんはドイツ兵で、主人のお父さんもドイツ兵だったんです。私の父は数年前に亡くなったのですが、レニングラード付近でソ連軍と戦っている時に手榴弾が近くで爆発して、左腕に破片が残って戦後もそれが痛んでいて、戦争についてはあまり語らなかったのです。主人の父はポーランドで戦死したから、主人はお父さんを知らないんです」
「ご主人はお父さんを知らずに育ったのですか?それはお気の毒です。僕の母も第二次世界大戦で父が戦病死をしたから、父のことをほとんど覚えてないんです。父は田舎育ちだから、戦争中はあまり苦労しなかったそうですが」
と会話をして、やはり、第二次世界大戦の敗戦国である日本とドイツは似ていると思った。

家に着いたらやはり外国人をホームステイさせるようなドイツ人の家なので、かなり大きな家だった。集合住宅で3家族が一緒に住んでいて家の中は厚い壁で仕切られていたけど、それでも大きな家だった。居間なんかは20畳くらいの広さがあった。僕が滞在する部屋も8畳以上の広さだった。奥さんは主人はベンツ社の部長として働いているとか、主人は父がいなかったので、戦時中は武装SSの将校だったおじさんが父の代わりとして幼い主人とよく遊んでくれたのだが、そのおじさんはバルバロッサ作戦に参加した時にモスクワまであと30キロの地点まで進出して、モスクワのクレムリンが遠くに見えたとか教えてくれた。ここまで話を聞いて僕は、「この家族はドイツでは保守的な家族だ。第二次世界大戦時の軍事同盟について話をしても、絶対に大丈夫だ」と確信した。実際に奥さんも主人も、「うちの家族はネオナチとかは嫌いだけど、どちらかというと保守的な思想の家族だよ」と後で教えてくれた。

それで、日本人の客が家に来たというので、仕事先から主人と長女と長女の夫が帰ってきて家に来た。奥さんが「Gさんは日本人だから、第二次世界大戦以来のドイツと日本に興味がある」と教えた。特に奥さんが「Gさんはドイツ軍の戦争映画が好きで、『Uボートは50回も見たと言っていた』」と教えると、主人は「フュー!」と口笛を吹いて喜んだが、やはり21歳の娘さんはつまらなそうな顔をしていた。それで、娘さんはアマチュアバンドでボーカルをしているほどロック音楽が好きだったから、「日本のロック音楽はどうなの?」と質問をしてきたが、僕は20歳の頃はよくロック音楽を聞いていたけどその頃はもう聞いてなかったので、「日本のロック音楽には興味がない」と答えると娘さんは苦笑いをしていて、やはり「つまらない」という顔をしていた。まあ、若い女性がラブソングが好きで戦争の話を嫌いなのは、特に敗戦国の日本とドイツでは当たり前のようだ。結局、長女と彼女の夫とは、2人とも別の家に住んでることもあって最後まであまり話をしなかった。(苦笑)


それから数時間後に夕食の準備ができた頃には長男のJが来た。彼にも既に結婚する予定の彼女がいて名前をCといった。Jはその家に住んでいたので恋人のCと一緒に僕に親しく話しかけてきて、「僕らは若者同士だから他人行儀なSie『あなた』ではなくて、(友達として)親称のDu『君』で呼び合おう」と言ってきた。実は言うと主人と奥さんからも「我々は家族のようなものだから、君のことをT(ファーストネーム)で呼んで、お互いにDuで呼びあってもいい」と言われたのだが、僕の方は「あの、日本では『親しき中にも礼儀あり』とかいう考えがあって、年上の主人と奥さんを名前で呼んで、さらにduで呼ぶのは僕にとっては違和感があるので、しばらくは[Herr G](Gさん)と呼んでくれませんか?Duで呼ぶのはもうちょっと時間が経ってからにしましょう」と答えたのだった。でも、その後の経験からわかったのだが、ドイツで長期滞在する時には初めから名前で呼び合って、Duで呼び合う方が正解だと思った。いつまでもSie(あなた)と[Herr A](Aさん)と呼ぶと、後からそれをどのタイミングで変えるかで面倒なことになるのである。

H家でホームステイをした時に、H家の家族、さらに近所の方々と第二次世界大戦以来の日独関係について話をしたエピソードは、まだまだたくさんあるが、それについてはまた次の機会に書こうと思う。ただ、ここで言えるのはドイツ人の家にホームステイをする時には、第二次世界大戦時の軍事同盟関係について詳しく知っている方が、ものすごく歓迎されるということである。「ドイツを最後まで裏切らなかった日本人なのに、第二次世界大戦について何も知らないのか」ということになると、ドイツ人の中にはすごくガッカリする人が多い。


写真はヒトラー総統と握手をする松岡外相。日本とドイツは第二次世界大戦に戦争犯罪を多く行ったかもしれないが、それは連合軍側も全く同様である。日独同盟が残したプラスのものは、日本人とドイツ人の間の永遠の友情である。


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