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2020年03月31日21:33

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志村けんではなくて、中国の習近平が死ねばよかったのだ

新型コロナ闘病の志村けんさんが死去
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=84&from=diary&id=6027301


志村けんさんの逝去は本当に残念なことでした。謹んで心からの哀悼の意を捧げます。

僕はすでに日記で書いたが、父以外の家族とは仲が悪い。父がすでに20年前に亡くなったからもう家族では孤立状態である。でも、母とは最近は理解できるようになり、80歳近い高齢ということもあって一人暮らしをやめて母と同居している。父と母と母方のおばあさんが同居できるように父が大金を払ってけっこう大きな家を建てたのだが、家を建てて約3年後に父が亡くなってしまい、おばあさんも2008年に亡くなったので、大きな家に母が一人暮らしでは不安なので母と同居しているのだ。

でも、僕の小学校高学年から20歳ころまでは、兄と妹はずーっと吹奏楽部で楽器を演奏して活動していて、母も音楽が大好きだから3人はずーっと音楽の話で意気投合していた。僕と父は音楽には興味がないからプロ野球などのスポーツ観戦、戦争映画を一緒に見ることで盛り上がっていたが、父は典型的な「昭和の親父」という感じの人だったから仕事一筋の銀行員で、週末も銀行の接待、銀行の人との付き合いで出かけることが多かったから、僕は家族の中では一人でいることが多かった。一人が多かったからこそ、軍事マニアになって田宮模型とをコツコツと作ったり、鉄道模型のNゲージで遊ぶようになったといえる。

さらに、家族で孤独だった僕の安らぎになったのは志村けん、ビートたけしなどのお笑い番組だった。志村けんは「8時だよ、全員集合!」に出演を始めた頃から見ていて、「東村山音頭」は小学校2年の時は東京都の目黒区に住んでいたのだが、クラスメイト、近所の友達と一緒に歌っていた。しかも、東京に住んでいて鉄道マニアだったから、都営三田線に志村坂上、志村三丁目という駅があるということを見つけてゲラゲラ笑っていた。でも、堅物の銀行員だった父は「志村けんの歌なんか歌うな!」」と言って怒っていた。(苦笑)

その後も、大学生の頃も「志村けんのだいじょうぶだぁ」などを見て笑っていたが、吹奏楽活動をずーっとやっていた兄と妹は自分たちが楽器が出来ることを誇りにしていて、「楽器が出来ないから、テレビでスポーツ観戦をするか、お笑い番組を見ることしか出来ない無能な奴」という感じで僕を冷ややかな視線で見ていた。でも、僕はそんな2人のことなんか気にしなかった。子供の頃から比べられて馬鹿にされるのは慣れていたから。それで、吹奏楽活動をずーっとしていた兄と妹が今はご立派な人になったのかというと、兄は私立高校教師で、妹は主婦で看護婦とごくごく普通の人になっている。それで、吹奏楽関係のことは今では何もしてない。結局、彼らにも大した才能はなかったのだ。(笑)

とにかく、子供の頃から成人するまで、家族の中で孤立していた僕を笑わせてくれていたのが志村けんとビートたけしのお笑い番組だったので、中国発祥のコロナウイルスが本当に憎い。特にコロナウイルス発祥の初期段階で隠蔽したり、対応をきちんとしなかった中国共産党が本当に憎い。中国共産党は「既に中国ではコロナは終息しつつある」などと強気なコメントを出していて、習近平は中国各地を視察しているというが、中国共産党の発表なんていつでも信用できるものではない。だから、中国各地を習近平が視察しているうちに、習近平か中国共産党の幹部の誰かがコロナにかかって亡くなれば、中国も事態の重大さを再認識するだろう。また、習近平か共産党幹部の誰かが亡くなれば、中国の民主化がかなり前進するだろう。中国国民、特に香港市民にとってはありがたいことのはずだ。


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