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2019年08月19日22:06

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フォトアルバムに「フンボルトハインの高射砲塔と地下壕の写真」を追加しました

題名に書いたように、「ドイツ陸軍総司令部があったツオッセン(ZOSSEN)」のフォトアルバムに、「フンボルトハインの高射砲塔と地下壕の写真」を追加しました。

https://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000106283777&owner_id=66671909


「フンボルトハインの高射砲塔と地下壕の写真」は、[Berlin Unterwelten](ベルリン地下世界)というベルリンのツアー会社が行っている「ベルリン地下壕ツアー」に、2006年7月に参加した時に撮影したもの。

こちらが、「ベルリン地下世界」のホームページ。残念ながら日本語の説明はありません。

https://www.berliner-unterwelten.de/en.html

この中にはドイツ軍ファンにとってとても興味深いツアーがあり、それは「ゲルマニアの神話」というもの。ヒトラーの発想でシュペアーが建築を任されたという「ゲルマニア」の遺物が展示されている。こちらも英語かドイツ語説明のツアーしかない。

https://www.berliner-unterwelten.de/en/myth-of-germania/permanent-exhibition.html


それで、これらの展示と写真を見ればわかるように、ナチスドイツは日本とは違ってベルリン市民全員を収容できるような巨大地下壕と、市民を守るための巨大高射砲塔をベルリンの各地に建築していた。日本のように市民に「竹槍訓練」をさせて気合で空襲を乗り切るとか、隣組のバケツリレーで空襲の火を消すとか、そんな滅茶苦茶なことはさせていなかった。ゲーリングのドイツ空軍は市民を守るための巨大な地下壕を建設しており、空襲の時は地下壕か地下鉄の駅に逃げるように冷静に軍の将校と警官が誘導していた。そこが日本とナチスドイツでは大きく違っている。

だから、ベルリンは何度も連合軍の空襲を受けたにもかかわらず、ソ連軍が1945年の4月に攻めてきた時には多くの市民はまだ生きており、ベルリンにあった多くの高射砲塔は、ソ連軍の攻撃を防ぐための要塞として使われた。

ベルリンの地下壕ツアーに参加して思ったのは、ナチスドイツは残酷な容赦のない「総力戦」に対して準備が出来ていたけど、大日本帝国は東京市内(第二次世界大戦の頃はまだ東京市)にロクな防空壕も作っていなかったので、東京大空襲で一夜で10万人近くが焼死したのは、「総力戦」から国民を守る準備をしていなかった政府と軍の怠慢のせいとも言えるだろう。


最後になりましたが、フンボルトハインの高射砲塔のベルリン市内の位置はGOOGLEMAPで表示するとこのようになります。

https://www.google.co.jp/maps/place/Flak+Tower+III+Humboldthain/@52.5475265,13.3856736,16z/data=!4m5!3m4!1s0x47a8522125f5edc5:0xfc772762ccbad6a6!8m2!3d52.5474939!4d13.3850835

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