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2019年04月19日19:48

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ベルヒテスガーデンで会ったイタリア人家族


今日は僕がドイツ・アルプスで偶然に出会った、イタリア人家族との話を書きます。この日記も他のブログに一度書いたものです。


ドイツ・アルプスといっても僕はドイツ軍ファンなので、当然、具体的に行った場所は、ヒトラー総統の山荘があったベルヒテスガーデンだった。ここにはもう2回行ったが、今回書くのは2005年の7月に行った時の出来事。


その日は天気が良かったので、ヒトラーの山荘があった建物の屋外にあるレストランで、一人で食事をしていた。すると、40才ぐらいのイタリア人のおじさんが僕の座っていた席の前に座って英語で、
「こんにちは。私たちはイタリア人だが、君は日本人かね?私の家族もここで一緒に食事をしていいかな?」
と英語で言ってきたのだった。
「ええ、もちろんいいですよ」
と答えると、おじさんは、奥さんと14才ぐらいの娘さんを紹介した。娘さんは、ものすごくかわいい子だった。決してお世辞ではなく、O・ヘップバーンを金髪にしたような顔立ちだった。

だが、僕がびっくりしたのは奥さんの方だった。奥さんの鼻の下には、な、な、なんと、口ヒゲが生えていたのだった!それも、うっすらとではなく、10メートル離れた距離からでもわかるような、はっきりとした濃い口ひげだった!
[For,crying out the Lord, she's gotta mustache!!]
「おお、神よ、何ということだ!このおばさん、口ひげを生やしている!」
と、思わず英語で思ったのだった。ちょっと注釈すると、海外で数週間暮らしていて、日本人どころかアジア人にもほとんど会わないと、何か考える時も英語かドイツ語で考えるようになることがある。自慢話みたいだけど。

おばさんの方は口ひげなど全く気にせず、ニコニコ笑ってイタリア語で旦那さんに、
「でも、私と娘はイタリア語しかしゃべれないから、この日本人に迷惑になるんじゃないかしら」
みたいなことを言っていた。


それで、イタリア人家族と話は内容は、サッカーとイタリア映画の話がメインだった。それから、僕は自己紹介の時に、
「大学で現代史を専門に勉強して、特に第二次大戦の研究をしたからここに来たんです」
と言ったので、第二次大戦の話も少しした。

その家族はボローニャから来ていたので、ボローニャというと、一度、中田ヒデが短期間だがここのサッカーチームでプレーしていたこともあり、当然その話もした。イタリア代表チームについても話をしたが、2005年頃というとイタリア代表は2002年日韓ワールドカップ、2004年のユーロでもロクな成績を残していなかったので、おじさんは、
「ヤツラはお金を貰い過ぎだ」
と言って怒っていた、


映画についての話は、当然、イタリア映画がメインだった。おじさんの名前がヴィットリオさんだったので、こういう会話をした。
僕「ヴィットリオ・デ・シーカという映画監督がいましたね。『ひまわり』、『昨日、今日、明日』『自転車泥棒』などを見たことがありますよ。よく、ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニが、デ・シーカの作品では競演していたので、学生の頃はてっきり2人は本当の夫婦なんだろうと誤解してました」
おじさん「デ・シーカは監督業が有名だったけど、俳優もしていたのを知っているか?」
「ええ、知ってますよ。何本かの映画に俳優としても出演していますね。僕は最近のハリウッド映画なんかよりも、一昔前のイタリア映画の方が大好きです。“イタリアン・ネオリアリズム”の頃の映画は、今のハリウッド映画なんかよりも素晴らしい作品があります。『鉄道員』、『道』、『ニューシネマ・パラダイス』なんかは何回見ても感動しますね。感動して涙を流すこともあります」

ちょっと補足だが、当然、こういった映画のイタリア語のオリジナルタイトルは、わかっていても発音が難しいので、ピエトロ・ジェルミ、フェデリコ・フェリーニ、ジュゼッペ・トルナトーレなどの名前を出すことでわかってもらったのだった。(苦笑)

おじさんは僕のイタリア映画の知識にちょっと驚いたようで、
[Don de Cinema]「映画のドンだね」
とほめてくれた。


さらに、僕が机の上に積んでいた日本語で書かれた第二次大戦の本をおじさんは手に取り、
「これが、君が学校で使った教科書かね」
と聞いた。本当は教科書ではなくてイラストが豊富な学研の本だったのだが、説明するのが面倒なので、
「ええ、そうです」
と答えた。おじさんはその本をしばらく見た後、
「言葉はわからないけど、第二次大戦のことがイラストと写真を使って上手く説明しているね。いい教科書だよ」
とニコリと笑って言った。


このように、おじさんと僕が英語で話をしていた間、奥さんと娘さんは何をしていたのかというと、2人ともニコニコ笑って横で見ていただけという感じだった。奥さんの方は相槌をうったり、
「今、彼は何て言ったの?」
と旦那に聞いたりしていたが、可愛らしい娘さんの方は、ただニコニコ微笑んでいただけだった。でも、そんなに退屈しているふうには見えなかった。

「個人差もあるだろうけど、イタリアとかのラテン系の娘さんというのはああいう娘が多いのかな?男が話している横で、ただ、ニコニコと微笑んでいるといいうような。これまでもイタリア人の若い女性にドイツ、オーストリアで会ったことがあるけど、いきなりイタリア語で話しかけてきたりとか、人懐っこくて優しい感じの娘さんが多かったな」
と思ったのだった。

だから、僕はほとんどヴィットリオさんだけと話をして、奥さんと娘さんとはほとんど話をせずに別れたのだった。それでも、先に書いたように、奥さんも娘さんも決して退屈だったのではないようだ。


写真はヴィットリオさんの家族と、ベルヒテスガーデンの山頂にあるヒトラーの山小屋。奥さんの口ヒゲは写真では確認できないが、たしかに濃い口ひげを生やしていた。(笑)

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