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2022年07月01日18:23

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神宮球場にきた

今年初の神宮球場に向かっている。去年も行ったのだが、その時は五輪絡みで横浜主催ゲームとして間借りしたのだった。しかもひどい雨だった。その時初めて一塁側内野席に座ったのだが、見慣れていたはずの神宮球場が全く別のものに見えた。新しい国立競技場が居心地悪そうに鎮座しているのが見えた。レフトスタンドのすぐ横から見えるのか。全く気づいていなかった。

生まれて初めてプロ野球を観たのも神宮球場だった。バックスクリーン裏から入場し、右に曲がる。まだ明るい空の下なのに照明灯がグラウンドを照り付けている。ずっと楽しげな音楽がどこからか鳴っている。光の先を見ると横浜大洋ホエールズのビジターユニフォームが見えた。屋鋪がそこにいた。目の前、センターの守備位置でノックを受けていた。紺色の地味過ぎるユニフォームのうえに、鮮やかに輝くように、真っ白な31。背中の数字がボールの動きに合わせて躍動していた。本物の屋鋪だ。そう声に出したように思う。あの時のあの感覚が忘れられなくて、今も足繁く球場に通っているのかもしれない。

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当時の神宮外野レフト自由席はいつ行ってもガラガラで、大洋の応援団は太鼓を持って来ないこともあった。カタギではなさそうな若者がうろうろとブーテキを売っていた。投手の打席では応援歌を歌うのを止め、皆が座ってのんびり観ていた。バックスクリーン裏の立ち食い蕎麦屋で春は暖を取り、見知らぬ大洋ファンと田辺学や大門の悪口を言い合う。長内が広島からやって来た時は大喜びしたものだ。彼は青森生まれだったし、とても誇らしい気持ちになった。残念ながらあまり活躍は出来なかったけれど。

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試合に負けると一定数の人たちがグラウンドに応援バットを放り投げるのが恒例だった。一個500円だったと思う。投げ込まれる数が多ければ多いほど、試合はドロドロに負けている。申し訳なさそうに選手やコーチや監督がレフトスタンド横の出口に向かう。さっき応援バットをグラウンドに放り投げていたサラリーマンが須藤豊監督に野次を飛ばし、レイノルズに笑顔で手を振り、高木豊へポチ!ポチ!と何度もあだ名を連呼し、まだ若い谷繁にはわりとマジメに叱咤激励する。何かを成し遂げ満足したのか、サラリーマンは出口へ向かう。応援団の皆さんが惨敗についてお客さんに謝っている。でもだけどきっとたぶん明日こそ勝つ!と大声で言って爆笑をとっている。明日の先発は大門だぞー!と誰かが言う。皆がさらに爆笑する。小さなコミュニティはそれで満足げに解散し、また次の日も神宮にやって来る。少ないお客さん、皆大声を張り上げても内野には届いていないかもしれない。それでも声を張り上げる。がんばれ!がんばれ!大門!がんばれ!がんばれ!大門!がんばれ!がんばれ!大門!!

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横浜大洋ホエールズの名はなくなり、あの地味すぎるビジターユニフォームを神宮球場でみることもなくなった。もしかしたら今日は勝つかも。そう思いながらいつも向かっていた。バックスクリーンの裏から入って右に曲がる。ストライプブルーのユニフォームが見える。もう負けてもグラウンドに何かを投げ込むやつはいない。投手の時だって応援する。いろいろ変わったけれど、あの時の高揚は何も変わらず今も続いている。だって今日は勝つかも。がんばれ!がんばれ!がんばれ!
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