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2018年12月15日00:12

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いくじなし

スマホに親しんでいる若者には信じられないかもしれないが、その昔、SkypeもカカオもLINEも無い時代があった。





更に、メールさえ無い時代があった。




僕の小中学校時代は、好きな女の子と連絡を取る手段と言えば『実家に電話』だった。今や、アンジャッシュの優れたコントネタでしか見ないような、「親御さん、特にお父さんが取りませんように」と祈りながら番号をプッシュする気持ちを、今の若者にどう伝えたら良いだろうか。




緊張を伴い、時間も限定され、そして何より不便だったこの連絡方法は、しかし、数々の思い出を作ってくれた。





専門学校に進学した頃、初めて携帯電話を手に入れ、メールというツールを知った。当時はパケット定額が無く、頻繁にメールを送ることは出来なかったが、それでも長電話より随分と通信料が安く、僕も同級生との連絡はメールに頼っていた。





文字同士のやり取りは誤解を生む恐れも高いが、それを埋めて余りある、『早いレスポンス』という長所があった。思った事をすぐに送信出来て、返信が早ければその分会話の量が増える。会話の量が増えると、(例えメール内とはいえ)信頼関係が深まり、より相手を知る事が出来る。




LINEを主としたコミュニケーションツールが当たり前になった現代、あの、『メールの返信が待ち遠しいある種の焦燥感』は、なかなか味わうことが出来ない。





優作子は、メールの返信が極端に遅い人だった。













結局、僕は優作子に宣言した通り、指一本触れずに朝を迎えた。女性と二人きりで眠る経験なんて無かった僕は、一睡も出来なかった。





眠い目を何とかこじ開け、最寄り駅まで優作子を送った。何を話し、どんな道順で送ったかは覚えていないが、朝日がいつもより目にしみる朝だった。そして、手さえ握れなかった後悔が、遅まきながら身体の奥からフツフツとマグマのように沸いてきた。





駅に着き、僕は思い切って優作子を抱き締めた。周りに誰か居たかもしれないが、関係無かった。





『痛いよ』。優作子は面倒くさそうに、でも、少し笑いながら言った。僕は自分が衝動的に行った行為を恥じながら、気を付けて帰って、とだけ伝えた。





その日から、元々遅かった優作子のメール返信が更に遅くなった。何度か返信を催促すると、次の日にやっと一言返ってくるという日々が続いた。





もちろん、古着屋にも来なくなった。あの、八重歯の目立つ可愛い笑顔を、見られなくなった。





そして、メールの返信も完全に無くなった。僕も催促しなくなり、優作子のメールアドレスを選択する事が無くなった。ある日、僕は意を決して優作子のメールアドレスを消去した。





僕なりの願掛けだった。いや、ほとんど呪いに近いのかもしれない。アドレスを消す決断をした念が優作子に届き、『久しぶり。元気?』という言葉を打たせるのではないか。僕は本気でそう思っていた。




当たり前だが、優作子からメールが来ることは無かった。





恋が終わった事より、優作子を失った事の方がショックだった。松田優作の遊戯シリーズの話が出来て、サブカルの話題にも軽々乗ってくる知識の量は、それまで出会ってきた異性とは比べ物にならなかった。石井輝男監督作品『恐怖奇形人間』の話を出来た初めての異性だった。





今は思う。優作子の事は好きだった。見た目も可愛く、僕の好みの外見だった。洋服のスタイルもタイプだった。考え方や趣味も近く、話していて楽しかった。が、それより何より『自分の価値観を認めてくれる人』を求めた僕の、承認欲求を初めて 満たしてくれたのが、優作子だったのだ。




僕は、僕を認めてくれる人を求めていた。
それがたまたま、優作子だった。













今でも時々思う。あの時、優作子と交わっていたらどうなっていただろう、と。




己の肉欲に任せて、優作子と重なり合っていたなら、今の僕は無いかもしれない。良きにつけ悪しきにつけ、こんな日記は書いていなかっただろう。






誰かが言っていた。『起こらなかった事もまた歴史なのだ』と。僕と優作子の間には、もしかしたら愛はなかったのかもしれない。お互い、承認欲求を満たしてくれる相手を見つけ、つかの間の疑似恋愛にうつつを抜かしていたのかもしれない。




だからこそ何も起こらなかった。それは事実であり、それで良かったのかもしれない。




でも、やっぱり僕は今でも時々想起してしまう。




優作子の細い身体を抱き締め、優作子の温もりを感じながら果てる事を。





まさかこの後、優作子を凌駕する存在と出会うなんて、この時の僕は思いもしなかった。
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