昔 秀吉が小田原の北条家を滅ぼし 奥羽も平定し 全盛期の時です
家康は 国替えを秀吉に強いられたのです 当時荒れ果てた江戸に 移封されることになったのです
大抵の事には驚かない家康もこれには大きな衝撃を受けたに違いないです 無理難題をふっかけて
拒否させて徳川を滅亡させる魂胆と解釈した
家来はソレを聞いて 口ぐちに激昂した
これはまさしく 存亡にかかわる一大事だ!
俺たちは三河で生まれ育ち ココを死に場所と父祖の代より教えられてきた! そんな江戸の地などに追いやられるなんて我慢ならん!
これは秀吉の宣戦布告だ!
そうだ!一戦だ!
家康は そんな 家臣を前にして こう言った
皆のもの よおく聞け!
今 太閤に逆らって 勝てると思うか?
万に一つも勝てないだろう・・
いいか ならぬ堪忍するが堪忍と云うではないか
関8州をくれてやるというのだから有りがたくちょうだいすればいいのだ
広大な平野を肥沃な土地に造り変えたら250万石はなるのだ 兵馬を整えてここはじっと我慢をし捲土重来を期そうではないか・・
必ずや太閤と雌雄を決するときがやってくる・・
切々と説く家康の言葉に全員が涙を流して聞き入ったのです
結局は秀吉の挑発には乗らずアッサリと国を明け渡すことを秀吉に伝えた・・
秀吉はソレを聞いて
【家康と云う男は 思った以上に末恐ろしい男よ】
と側近に漏らしたそうです
「ならぬ堪忍するが堪忍」という言葉は
その時から家康の代名詞になりました
皆さんも 挿入したら 簡単にネを上げないことで じっと我慢して続けることです ならぬ堪忍 するが堪忍です さもないと 身が滅ぶまでもなく その前に見切られますよ(笑)
※史実を除いて全て私の妄想であり 引用などは一切ありません
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