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2019年11月22日12:19

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家康に天誅を!! 淀君の怨念


数々の時代劇に登場する 有名人だけど

脇役ばかりで主役になった試しがない

その理由は秀頼を オロオロと庇うだけに終始し さしたる

ことも成し遂げてないからです

けど結果的にそうなってしまっただけで

彼女は 家康打倒に 権謀術数をこらしていたと私は推測します

豊臣家を滅ぼし 最愛の秀頼を死に追いやった 家康を最も憎み 最後は この怨みをこの世に遺し

千年万年の末代までも たたってやると阿修羅のように死んでいったと思います 


秀頼は 大野治長との不倫説が有力だし そんな日記を書きもしましたけど  
客観的に見てなんの力も名声もない 一介の 武将に身を任すでしょうか・・

前田年長との懐妊説もまったくないとは言い切れないし

三成との間も何かあっても不思議ではないです

とにかく 誰の子であろうと 男子を身ごもって 
次の天下を我が掌中に・・
と 心に期していたことに間違いはないです

で 彼女が最も焦ったのは 関ヶ原合戦以降のことでした

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石田三成は捕縛され処刑。家康は、淀殿の信頼の厚い大野治長を大坂城へ使者として送り「
淀殿と豊臣秀頼が西軍に関与していないと信じている」と述べさせた


これに対して淀殿は 秀頼にも責が及ぶのではないかと 心配してたので

本心から喜び感謝しているのです

毛利輝元が大坂城から退去すると、家康が大坂城に入ったが、淀殿は家康を誠心誠意の饗応しています

しかし、家康は関ヶ原の戦いの恩賞を自らの考えで分配し、豊臣家の領地は大幅に減らされ大坂65万石のみとなってしまっ

【領地を勝手に減らすとは何事か!】と激怒したが

【関ヶ原の働きに応じて 豊臣家から褒美を与えるのは当然ではないか】と

家康は取り合わなかった 

大阪城から家康などが退去すると、淀殿は秀頼の後見人として、豊臣家の主導権を握り、家康に対抗したが

家康は、江戸幕府を開いて、秀頼に対しては臣従を求めてきた

淀君はここに至って家康の底意を知ったはず

(家康め 秀頼に臣従するなどと 嘘800・・我が豊臣家を滅ぼす気に相違ない・・)

(今になってみれば・・ 三成の申す通りに 秀頼を総大将にして関ヶ原に臨んでおれば・・)

(いやいや、もっと前に遡り太閤がまだ元気でいた時に 家康を叩き潰していれば こんなことになってなかったのよ)

淀君の胸に何度となく 去来したものは それらの悔恨の渦

ここまでなったら 意地を通さず
現状を認め家康に臣従したらどうかと 進言するモノばかり・・

そのようなことを余儀なくされるならば、豊臣秀頼を殺して自害すると主張した

そして 淀君は書状をしたため 豊臣の旧臣たちに秀頼を立てて 反家康の挙兵を促したが誰一人として色良い返事が返ってこなかったばかりか 

家康に知られるのを恐れて そんな書状は送らないでくれ 討伐目標にされると批判されるあり様

(なんと 薄情な 家来たちよ 秀吉にあれだけ寵愛されながら 浮世とはこういうものなのか)

と嘆いたに違いないです

よおし! それならそれでいい 日本全土には反家康の志をもった大名& 武将がゴマンといるはず それらを集め、今一度決んでやるわ!

と公募したら 続々と大阪に集まってきた・・

幸いにして 城内には 太閤が蓄えた有り余る金塊と糧抹があったのです

もう一合戦をと望む武将や その日暮らしの 食いぶちを当てにした 浪人も含め アット言う間に10万を超えた

猛将真田幸村もその 武将の一人でした

【淀殿 それがしがここに馳せ参じた以上 難攻不落の大阪城が落ちることなど決してないしこれを本拠にして 家康との決戦できっと勝ってご覧にいれましょうぞ・】

【おお・・なんと心強い! 幸村殿 総大将はこれよりそなたじゃ わらわのオトコになってたもれ】笑) 

【判り申した!・・永らく男日照りの御身を それがしの太いマラで 慰めてしんぜよう・・そのかわりだが・・】

【そのかわり?】

【家康を討ち取った暁には この大阪城を戴きたい 】

【あはは 面白い!あなたに差し上げましょう・・憎き家康を見事討ち取ってくれたらなにも惜しくはないです】

※史実を除いてすべては私の妄想です
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