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2021年03月22日16:45

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小栗康平 泥の河 (1981) (国立映画アーカイブ)

国立映画アーカイブ、特集、1980年代日本映画ー試行と新生、5本目。

Movie Walker https://moviewalker.jp/mv16834/

 昭和31年。朝鮮戦争特需で、日本全体が熱に浮かされたようになっていたころ、
それでも、戦争の傷跡から逃れられない人は多かった。

 「泥の河」は、確かに、川べりの食堂の子供、信雄と「廓船」の姉弟との
出会いと別れがテーマで、3人の子役、信雄、喜一、銀子の演技も素晴らし
かったが、私は、戦争の影をまだ色濃く引きずっている、大人たちの姿の方に、
胸打たれるものを感じた。

 特別出演で最初に登場し、おそらく戦争のためだろう、片耳が潰れており、
馬で荷物を運搬していて、荷車の下敷きになって死んでいく、馬車屋の
オッチャン(芦屋雁之助)。満州で戦い、シベリアに抑留されていた経験を持つ、
父、板倉晋平。彼の心の傷はいまだに深く、喜一が歌う「戦友」(ここはお国を
何百理)の歌を聴いて、戦場を思い出し、子供達の前でも物思いにふけられずに
はいられない。田村高廣が、そういう心の傷を抱えながら、「廓船」という、
いわば、いかがわしい商売の母を持つ子供達をも分け隔てなく、食堂に迎えて
やる、包容力のある父親として、なんとも言えず味わいある演技をしてくれる。

 その父親と、戦後の闇市で出会い、苦労を重ねながら、なんとか、食堂で、
食べていけるくらいにまで食堂を盛り立て、父親が40を過ぎてから、信雄を
もうけた母、貞子(藤田弓子)。やはり廓船の子供達、特に、自分たちが持た
ない女の子の銀子に様々な心遣いをする。

 物語中では事情がはっきりと語られてはいないが、晋平には故郷の舞鶴にいい
交わした女性がいたらしい。なんらかの事情で、晋平とは結ばれず、貞子の言葉
からすると、晋平を奪ったような形になったようだ。その女性は、死の床で、
晋平の子供の信雄に会いたい、と願い、夫婦二人は信雄を連れて京都まで出向く。
おそらく、晋平の従軍、シベリア抑留によりその女性とは別れることになった
のであろう。貞子が最初は会えない、と思いつつも、結局は、その女性に信雄
を会わせ、心から詫びるシーンの藤田弓子が美しく、哀切である。戦争によって
引き裂かれた人々は数え切れないくらいいたのだろう。

 晋平は、天神祭りの前日から、故郷の舞鶴の海ーそこはシベリア抑留から
日本に帰国した場所であったーを見たくなって、貞子にも無断で家をあけ、
信雄や喜一との天神祭へ一緒に行くという約束を破ってしまう。

 そのことが間接的に、信雄が、喜一の母の「商売」の現場を見てしまい、
喜一たちが姿を消す原因になってしまうのだった。

 喜一の母親、松本笙子を演じる加賀まりこの美しさも特筆もの。夫を失い、
子供達の為に、船で客を取るようになってしまったが、カタギになりたい、
という気持ちと、船の上での不安定な暮らしが習い性になってしまった
自分自身との間で揺れる気持ち。信雄に語りかける身の上話はあくまで悲しい。

 やはりこういう作品は白黒でなければ…天神祭の華やかな祭りの場は、
カラーだと派手すぎて作品の趣をそこなったのではないかと思う。

 覚えておかねばならないのだ。かつて日本は戦争をしており、何百万の人々
が死んだことを。「泥の船」は直接戦争は描かないが、こういう映画こそ、
これからその意味を語り伝えていかねばならないのだと思う。
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