国立映画アーカイブ、特集、1980年代日本映画ー試行と再生、1本目。
Movie Walker
https://moviewalker.jp/mv17056/
確か、2度目の映画館鑑賞のはずだが、最初の感想がない。ともあれ、テレビ
視聴も含めて、過去日記も上げておく。
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1619124465&owner_id=6645522
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1852924741&owner_id=6645522
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1965961487&owner_id=6645522
作品の感想そのものは、テレビ視聴時の1本目の日記とあまり変わらない。
とにかく中川信夫監督の怪談映画には、視聴者が思ってもみない心の隙をついて、
スルリと背後から滑り込んでくるような恐怖があり、銀幕ではそれが一層冴える。
そんな名シーンはいくつもあるのだが、1場面あげるとすればやはり冒頭だろう。
歌舞伎の擬音の中、突然、歌舞伎役者が逆さ磔になって、観客に向かって見えを
切る。
舞台袖では、囃子方の男の背後から女が現れ、しなだれ掛かる。
それを、逆さのまま、舞台から睨みつける男。
見事な三角関係の構図。この構図が、全編にわたって続く。
男と女の「業」の深さが映画を貫いている。
そして最も怖いのは、怪談映画の定石とはちょっと違って、小平次が生きている
のか死んでいるのか、はっきりしないまま、何度もなんどもおちかと太九郎の前に
現れることだろう。
Wikiによれば、『中川とスタッフは、「死んでいないかも知れないし死んで幽霊に
なっているのかも知れない」という「幽明の境」を漂うような世界を描くために、
軽量の16ミリカメラのアリフレックスを使用しながらも一切動かさないフィックス
・ショットで全編を撮影し、過去の怪談映画で見せた躍動感あふれる移動映像は
一切排した』
このフィックスショットの窮屈さが、二人の男と一人の女の、それぞれの思い
に縛られたような窮屈な心象風景にぴったりで、観ているこちら側まで、真綿で
締め付けられたような逼塞感を感じる。
映画のラストシーン。水際に倒れている太九郎。小平次。流れの行く先を
ただ黙って見つめるおちか。最後まで、小平次の生死はわからないし、
普通の怪談映画のような因果応報のオチも、結末の復讐もない。
ただ3人の男女の「業」の深さだけが際立つラストである。
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