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2019年12月17日09:43

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成瀬巳喜男 浮雲(1955)(神保町シアター)

 神保町シアター。没後50年成瀬巳喜男の世界、3本目。

 「浮雲」言うまでもなく、日本映画の傑作の1本。今回の鑑賞は3回目で、フィルム上映。
過去の感想と、原作読後の感想はこちら。
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 「浮雲」は決して美しい恋愛映画とは言えない。むしろ、戦時下の南仏
という、いわば別世界で花開いた鮮烈な恋が、戦後の日本の荒廃という現実
に押しつぶされて死んでいく様を執拗に描いた作品である。

 富岡の身勝手さ、情けなさは言うまでもないが、ヒロイン、ゆき子の方も
、決して富岡一人を思い続けるというような純粋さはなく、米兵の愛人に
なったり、かつて処女の貞操を奪われた義兄の伊庭の囲いものになったり、
と、女一人が戦後の混乱を生き抜くためとはいえ、奔放な生活をしている。

 観ていて、やりきれなくなるような濃密な映画なのだが、不思議と感動
する。戦後の混乱を体験している世代とは、受け止め方が違ってくるとは
思うのだが、私は「浮雲」を見ると、ゆき子のやるせなさと、仏領インド
シナで咲いた夢への尽きない郷愁が、自分自身の生き方や半生のかなわな
かった夢、うまくいかなかった思い出と重なって、しみじみ胸を打つので
ある。

 林芙美子の「放浪記」を読んだ時には中島みゆきの「私 男に生まれれば
よかったわ」という歌詞が頭の中に鳴り響いたが、「浮雲」は、「腐れ縁と
呼ばれたかったわ 地獄まで落ちてでも」かな。

 それだけに、ゆき子の夢の源となる、仏領インドシナでの恋は非現実的な
までに美しく描かれていて、全体の暗さとのコントラストが鮮やかである。

 ゆき子と富岡。戦後の荒廃に押しつぶされた二人の恋は、日本の果て、
屋久島で最期を迎える。最後の最後に、またしても南方での輝くような高峰の
姿がはさまれるのが、なんともいえず悲しい。

 他の成瀬作品とも、どこか違う。やはり「大恋愛映画」であろう。
 
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