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2019年11月21日17:36

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成瀬巳喜男 はたらく一家(1939) (神保町シアター)

神保町シアター、没後50年成瀬巳喜男の世界。1本目。

1939年(昭和14年)、戦時下で公開された映画。上映機会が少ない
せいか、どの映画データベースにもあらすじがない(^_^;

 題名通り、全員が懸命に働いても働いても貧しさから抜け出せない職工の
一家に起こった出来事を丁寧に描いた映画。

 職工の石村(徳川夢声)一家は、五男一女に赤ん坊、それに子供たちに
とっての祖父母が下町の小さな家に身を寄せ合うようにして暮らしている。
 父親である石村、子供達のうち長男から三男までの3人がそれぞれ工場
で働き、さらに母親(本間敦子)も内職をして懸命に生活をささえてギリ
ギリやってしていけるかどうか…

 そんな時、今年22歳になる長男は、このまま工場で単純労働者として
働いていても家族共々共倒れになるだけだ、という危機感をいだき、工場の
組長に相談して、いったん勤めを離れ、家をでて、上級学校へ進学して、
電気技術者になりたいという将来の計画をたてる。

 この長男の決心をめぐって、動揺する一家の姿がこの映画の主題である。

 父親にも、このままでは将来がない、とわかっている。子供達はみな
できがよく、わずかな自由時間にもそれぞれ読書をしたり、勉学をしたり。
(子供達の1人は、英語の勉強をしているようなのだが?うっかり見過ご
してしまったので不確かだが、当時の世相を考えると、本当に英語の勉強
をしている描写だったとすると、かなり大胆であろう)

 しかし、家族の面倒を一手に引き受けている母親からすれば、長男が
家に入れてくれる賃金がなければ、一家の食事もままならない。
いまでも、冠婚葬祭などの行事があったときには、まだ小学校の四男が
大事にためたこづかい銭から、借りねばならないような状況なのだ。

 長男は、「どうか5年だけ自分を死んだものと思って暇をくれ」という
悲愴な決意である。自分で寄宿先も探してきた。しかし、その一方で、
一家の苦しい生活をよく知っているだけに、飛び出すだけの勝手な決断
はできない。迷った彼は、学校時代の恩師(大日方 傳)に相談する。
「真の親孝行とはいったいなんなのでしょう」長男はあくまでも生真面目
である。

 小さな家に先生を迎えて、家族会議が開かれる。しかし先生にも妙案は
ない。「みんなで話し合って最良の方法を考えよう」というのが精一杯だ。
外には激しい雨が降っている。映画は結論を提示しない。

 2階では、まだ小さな四男をはじめ、男の子たち3人が、一枚の座布団
を利用して、それぞれの夢を高らかに叫びながらでんぐり返しを繰り返し
ているところで物語は終わる。

 戦時下の家族のドラマ。背後にちらちらと影をみせている戦争とともに、
なんだか既視感があるなあ、と思っていたら、昨年、ニュープリントされた
佳篇「まごころ」と同年の映画だった。
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1967473954&owner_id=6645522

 ネット上のレビューをいくつか見たが、「まごころ」に対してこの
「はたらく一家」への評価はかなりわかれているという印象をうけた。
「まごころ」には、少女たちの純情という未来への希望があるのだが、
「はたらく一家」は、その登場人物たちが誠実であればあるほど、
その将来に希望が持てない、という戦時下の底辺の生活を描いているから
であろうか。長男の進学問題にしても、長男の自立か、それとも家に
残ったのか、観客によって解釈が異なるようだ。

 先生に結論がだせなかったように、私にも結論はだせない。
誠実に、懸命に働く家族に希望がもてる社会が訪れることを祈るしかない。
貧困の再生産とワーキングプア。きわめて今日的な問題でもあろう。

 ただ、働き手がみな男の子だ、というところに、戦争に対する無言の
抵抗を読み取れるような気がする。すでに盧溝橋事件は起こっている。
日中戦争は泥沼化する。おそらく、あの律儀な長男から、次々に徴兵され
、一家は工場で働く、どころではなくなるであろう。成瀬はそこまで
考えていたのだろうか。

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コメント

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