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2019年07月10日11:57

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本多猪四郎 「ガス人間第1号」(1960) (国立映画アーカイブ)

 フィルセン(どうもこの名前のほうがしっくりくる(^_^; )、
つまり京橋の国立映画アーカイブで、2年ぶりに行われているおなじみの
特集上映「逝ける映画人を偲んで 2017-2018」の1本。

 2017年2月に亡くなられた土屋さんのほか、照明の高島利雄さん
、記者の1人として出演された大前亘さんのメモリアルとして上映されている。

 土屋嘉男さんのファンであることを自認している私だが、さすがに、
氏の膨大なフィルモグラフィー、テレビ出演などを全てみているわけではない。
代表作といえば、やはり「ガス人間第1号」になるだろうなぁ、というのが
プログラムを観たときの感慨。黒澤映画から「赤ひげ」というのも、
考えられるとは思うが、「赤ひげ」だと、やはり主役の三船敏郎の存在感
が大きすぎるのだろう。

 35mmフィルム上映。冒頭に「フィルムセンター所蔵」とでるので、
国立映画アーカイブ所蔵のプリントだが、とても状態がよく、特に
テレビ用放映やDVDと比べて明暗のコントラストがとても鮮やかだった。
 ちなみに私は家のTVでは、日本映画専門CHの「東宝特撮王国」
のHDリマスター版を観ていて、テレビ放映の画質としてはかなり
いいほうだと思うが、やはり「上映」は違う。

 「ガス人間第1号」が映画館上映されるという情報をキャッチできた
ときは、なるべく観るようにしているので、過去日記をひっくり返すと、
2010年、新文芸坐で「円谷英二の世界」と題された特集上映が
あったときニュープリントされている。

 おそらくこの国立映画アーカイブ所蔵のプリントも、そのときの
ニュープリントと同時にアーカイブに入ったのではないかと推察される。
それぐらいの美しさだった。

 1960年公開だからすでに50年以上前の映画。銀行や車、人々の
服装や交通事情、など、当時としては世相の最先端を写したもので
あったはずだが、その部分は当然古びていく。「古びる」というより
「時代劇」に近づくといったほうがいいかもしれない。私は1963年
生まれだから、映画内で描かれる街の風景は幼いころの記憶から連想され
、どことなく懐かしく、映画鑑賞を妨げるほどの違和感はなく観る
ことができるが、若い映画ファンにはどううつるのだろうか。

 円谷英二が意を用いた、ガス人間の描写も、CG技術が高度に発展した
現在では、よりリアルな描写が可能だろう。

 しかし、創意工夫のこらされた「手作りの特撮」感は、私にはやはり
好ましいものだし、ほかのシーンはともかく、ガス人間の「最期」
(もう土屋さんもなくなったことだし「最期」といってよかろう)
炎上する劇場から、やけこげた真っ白な背広が、消防車の放水にずぶ濡れ
になりながら這いずりでてきて、ガス人間の表情が合成で浮かび上がる
ラストシーンは、CGでは表現できないと思う。

 日本舞踊という、伝統芸能がテーマの一翼を担うから、他の60年代
映画よりは色あせない魅力がある。20代終わりの八千草薫の輝かしい
着物姿、舞台姿の美しさ。春日邸での稽古シーンでは、笛や囃子方の
人々の存在が物語に夢幻的なリアリティを与えている。特に、紋大夫
の松本染升さんの存在は大きい。

 脚本がとてもすぐれているので、テレビ視聴でも藤千代と水野、
岡本と京子という二組の人間模様には十分感動できるのだが、
映画のクライマックスであるあでやかで哀しい発表会〜ガス人間の
最期は、やはり大スクリーンと、鳴り響く宮内國郎音楽があって
こそ、真価がわかる。特に、音楽が盛り上がる中で、死んだ水野の
身体の上に、音をたてて花輪が崩れかかる演出は素晴らしい。

 藤千代というたぐいまれなヒロインについていえば、もうすでに
書いてきたが(^_^; 全編の白眉と思われるのは、京子とのやりとり。

京子「愛してらっしゃるんですか?」

 「ガス人間」という異形のモノを愛せるはずはない、という言外の
含みが京子にはある。

藤千代「…どうにもならないんです」

 藤千代は京子の問いに「(水野を)愛している」とは答えない。
水野を愛してはいないから。そして、しばらくの沈黙のあと、舞台の
小道具を手にしながら「私にとってこれが最後の舞台になるかもしれない」
と続く。その舞台の題名が「情鬼」情けの鬼となって藤千代は水野と運命
をともにする。会場の電気系統の配線を切ったのは、藤千代に命じられた
じいやなのだろう。

 そして、踊り終わったあと水野と抱き合う藤千代。気づかれないよう
に彼のポケットからライターをとりだす。点火する前の一瞬、白い背広
の背にしわがよるほど、固く彼を抱きしめて涙を一筋流す藤千代。

 ここまでくると、ほとんど神がかってますね。まあ、私だけかもしれ
ませんが。

 土屋嘉男さんの演技は、もともと私は、ガス人間となったあとの
虚無的で傲岸不遜な「ガス人間」としてよりも、平凡で灰色の青春を
送っていた「図書館の水野さん」のときが好きなのですが、今回の
上映で、藤千代や岡本警部補との芝居よりも、回想として語られる
佐野博士との芝居がより現実感に富んでいることに気づかされました。

 思うに「ガス人間」としての芝居は、「人間」でなくなったもの
だから、多少空想的であってよくても、その「ガス人間」を生みだす
ことになった佐野博士とのシーンに現実感がないと、「ガス人間」
の誕生を観客に納得させることはできない。そこまでの、役者として
の計算が土屋さんにはあったのだろう、としみじみ思いました。

 そして、「ガス人間」がこの社会では生きていけない理由。
集金を横領したり、公金を使い込んだりする輩がうじゃうじゃでてきて
存在自体が社会不安を引き起こす、という社会の醜悪さ。
それは、興味本位で藤千代の発表会につめかける野次馬たちの論理
に通じていく。

 私を特撮と土屋嘉男さんに導いてくれた素晴らしい映画。
8月7日の夜7時からも上映があります。東京近郊の方はぜひ! 


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