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2016年11月30日15:06

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侍戦隊シンケンジャーの魅力(1)

 スーパー戦隊シリーズもついに40作の節目を迎え、特撮として評価が確立
した感のある、ウルトラシリーズ、昭和・平成仮面ライダーシリーズとくらべ
て、やや子供向けの明るい感のあるスーパー戦隊シリーズも、今や、日本の
特撮としてかかせない1ジャンルになった。

 すべての戦隊シリーズを観たわけれはないが、歴代のスーパー戦隊からNo.1を
あげろ、と言われたら、それは文句なく「小林靖子の」「侍戦隊シンケンジャー」であろう。

 ヒーロー物であるからには、少数の例外をのぞけば、大テーマは「愛と勇気と
希望」であろう。戦隊ものを特色づけているのは、もうひとつ「仲間との絆」
である。

 それゆえ、レッドが一応歴代のリーダーとして、主人公をつとめ、戦闘力も
いちばん高いことが多いとはいえ、基本的には戦隊の各メンバーは、その性格や
実力、個人の来歴はさまざまでも、6人目の戦士を含めてほぼ大多数が、その
関係は平等である。そういう意味でもっとも戦隊らしいのは、おそらく三条陸
脚本の「恐竜戦隊キョウリュウジャー」であろう。

 ところが、「侍戦隊シンケンジャー」だけは、冒頭から戦隊内に、「殿」と
「家臣」という明確な上下関係が設定され、「殿」は一段高い位置から
「家臣」たちをまとめ、「家臣」は「殿」に忠誠をつくす、という、時代劇的
要素が設定されている。このことは、歌舞伎に造詣の深い小林靖子によって
作られた、スーパー歌舞伎的ワールドといってよい。

 それ故、現代の「侍=家臣」たちには、この世界観に対し、そもそものはじめ
からほかの戦隊にはない葛藤があり、代々の家臣として忠義をつくそうとする
もの、合理的視点から戦う仲間として接しようとするもの、時代錯誤的な扱いに
対して反感をいだくもの、侍として生きることに自分の意味をみいだし、純粋
に「殿様」を慕うもの、「殿」個人との友情から自己流侍になってしまうもの、
とさまざまな「侍」たちの集合があり、それだけに、戦隊もののもうひとつの柱
「絆」を無条件に築くことができない、という枷をはめられている。

 最終的に、このはめられた枷をのりこえて、「家臣」たちとの「絆」(クライ
マックスの第47話の題名にもなっている。大震災時の「今年の漢字」にも選ば
れており、その乱用には賛否両論あろうが、日本を代表する漢字であることは認
められるだろう。ちなみに日本を代表する名馬に「キズナ」号がいる(^_^; )
が、いかに形成され、それがどのような力となって、「血祭ドウコク」という
外道衆の総大将と戦っていくのか、というのがシンケンジャーの1年を通じた
道のりである。

 ただ、それだけに終わらなかったのが小林靖子のすごいところで、シンケン
ジャーを一度でも通じて観た人には、忘れがたい大仕掛けが後半ーというより
最初から仕掛けられていて、それゆえ、シンケンジャーは何度見直しても、
ひとつの台詞、ひとつの場面に新たな意味が見いだされ、むしろシンケンジャ
ーは2度目以降の視聴でその真価が納得される、という希有な作品になって
いる。

 だからとにかく、未見の方々には、だまされたと思って、全話通じて観てみて
ください、と言いたい。少し以前から東映チャンネルで放映がはじまっているし
Huluはじめ配信されているところも多い。

 私も観るたびに、小林靖子の才能には本当に感服するしかないのだが、しばら
く、東映チャンネルの放送を追いかけるかたちで、この歴史的なスーパー戦隊に
ついて書いてみようと思う。

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