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2020年02月29日23:20

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マイミクや 『日記』について(2)

まず マイミクについて 書いています。 

昨日は その(1)でした。

マイミクの存在意義について いまだによくわからないでいることと、 それなりの現在の結論 → 人数を増やすのは意味がないことについて 書いています。

今日の(2)では マイミクの意味について、  日本語訳の「私の友達」という観点から マイミクの世界をもう少し 深く追いかけてみましょう。


 まず、ふつうのリアルな世界での 友達の世界を考えてみましょう。

1000人もつぎつぎと友達になったらと 考えてみてください。

そのお付き合いの程度とか性格にもよるでしょうが、 交流の中身は 人数が多すぎれば深まりません。 あくまで表面的な友達付き合いとなってしまいます。

おそらく リアルな場ではそれを「友達」とは呼べないと思います。

例えば、会社仲間とかとかです。

しかし、 人は より多くの人に触れながら人生を学んでいきますし その限り いろいろな友達から それを学んで行くということも多いわけです。


はてさて、 であっても それって  いつも1000人もの あるいはそれ以上もの友達がそばにいる必要があるというものでは 絶対無いわけです。

たしかに 私の72歳の今までの人生でも 友達から学んだことはたくさんあります。

その数も多いです。

ですが それは 出会っては別れ、出会っては別れの 様々な いろいろな場でのお付き合いの深みから得られた世界であるということです。

別れつつ、  多くを学びあっているのが 私達の人間関係の世界です。

より強く より一人でも生きて行ける強さを身に着けつつ  より多くの人からより多くの事をだからこそ学びつつ進歩してゆけるんですよね。


その機能は、けしてマイミクに 直接そのままで 存在しているわけでは無いわけです。

マイミクの人で 深い付き合いというのではなく、深い信頼関係が出来たからこそ別れた(ミクシィから卒業した)という人もいました。  孤独を乗り越えて その人なりに求めてきたミクシィ希求を卒業したということです。 

おもしろいですよね。 そんな人にとっては、完全にマイミクとは増やす対象では全くなかったわけです。 (最後は ゼロ人になってこそ、目的を果たせた、わけですからね)

そして、 この強さがあれば、  ミクシィにおいては、  二千万人近い人数のミクシィ人口のほとんどがプロフィールは書いているわけですから  すくなくとも 千万人以上のプロフィールから  へえ こんな人たちが この同じ日本に生きているのかとか  こちらの気持ち次第では(我以外皆師)、 いくらでも、 様々な人生を  それだけでも学べるんです。

1000万人という数が どのぐらいの数かというと  一日50人のプロフィールを覗きに行ける時間がある人がいたとして、 たしか500年以上も それを続けないと全部見れない数なんですよ((+_+))。

驚きですよね。

中にはコミュニティには、まだほとんど参加されていないのに プロフィールには すばらしいお考えや人生経験が書かれているのが あったりして、 なんとその数もかなり多いんです。

なので 明らかに マイミク増やすよりも、 自己成長したいのなら、プロフ・サーフィン^^の方がはるかに勉強になります。

交流が無ければ、孤独は癒されないかもしれなくても それによって強くなれればいいじゃないですか。


それが、今日書きたくなったことの一つです。


あと1つ マイミクについて 言わせてあげてください^^。

これは ネットでの 私の経験なのですが、  むかし ある最大級のQ&Aサイトで とても熱い交流が出来たことがあったのです。

ある 盛り上がる質疑応答の場で  めちゃくちゃ読み取りにくい 何を書いている文なのかほとんど解らないような文で回答を書かれている女性がいたのですが、

そのために彼女は 回答者側の一人であるにもかかわらず たの回答者から批判が殺到していました。   ふざけての回答だと思われてしまったのです。

でも 私から見ると、 たしかに文はめちゃくちゃおかしいのだけれど 真剣な回答をしようとしているなということは 読み取れましたし、 そのうちに、  こんなことに気が付くようになったんです。

彼女の文には、なにか、感性の豊かさや素直さを示す詩的(すてき)な何かが見え隠れしている! というふうにです。

そして、そのことを彼女に伝えていました(わたしも回答者側で参加していたんですけどね^^)

そうしたら、 彼女からは、こんな返事がきました( 質問者の 質問自体は ほったらかしですm(__)m)

昔、自分の書いた詩が、 あるその道の専門家の人に見せたら  「自然に涙が出てくる」と言われたことがあるということと、 その詩を書いてくれた お返事でした。

その詩の部分以外は、やっぱり、 なんとかかんとか読み取れた形でしたが^^、
でもその詩は、

たしかに なんとも 素直な感動的な詩で、 自分がある辛い想いをしていた時、生活も苦しい中で、 生まれた子供の笑顔から励まされた心をそのまま 素直に そして奥深く書き綴られた まさに詩的(すてき)な 詩だったんです。

10年以上前のことですので また書き写していませんでしたので その言葉自体は忘れてしまいましたが、その時の感動は憶えています。

私自身 驚いて泣いてしまいました。

まさか、そこまで 隠された才能があったとは、 書いた私自身そこまでは考えていなかったのです。

そのため さらに その才能は惜しいですよ、 なんとか文章を直していきましょう。と正直に欠点もはっきり指摘しながら 返信を続けていたら、  お礼の返事が来て しばらく会えないでいたんです。

あのですね。

数か月後、なんと、彼女は、 自分の書いたものの検索をしているうちに、  なんとなんと 私のその頃のブログを見つけてしまったんです。

すごい偶然ですが 実話ですよ。

同じニックネーム(その頃のニックネームを忘れてしまいましたが)だったので もしやと思ってコメントをくださったのが 彼女だったんですよ。

しかも  また泣きそうになってしまったんですが、

彼女の文章は  まったく普通の文章になって いたんです・・・・。


あれから彼女は 文章の先生を見つけて 先生について一生懸命 文章の勉強をしたのだそうです。

なにかのきっかけで、 やっぱり 彼女とも やがて 別れてしまいましたが、 その辺は思い出せません。

ただ、ネットの中だけでも そんな熱い交流はあったんです。

心の中では今でも、たぶん、お互いにですが、深く感謝しあっていると思っています。


人の欠点ばかり目に入ってしまい、いい所は目に入らない人とかには その可能性はないのでしょうが^^、 ネットでも そんなお付き合いの世界はありえるんですよね。


人はそれぞれ「別な人」なんですから(あたりまえですが^^)  四六時中話し合ってるのが友達ではないと思います。

こうして、別れても いつまでも 心の中の友達でいつづける人たちもいますし、そしてそういう人たちからこそ 人生を学んでいくんですよね。


そういう友達たちのおかげで 人生をより幅広く知ってゆけるようになるんですよね。

人生をより豊かに生きることが出来るようになってゆくんですよね。

より強く 芯を持ち、情熱を持ち生き抜くすべが身についてゆくんですよね。


マイミクも 理屈ではとらえられない出会いや別れがあると思います。

しかし、やっぱり それは人数とはまったく関りがないのではと思うのです。


どうでしょうか。

これが今のところの わたしのマイミク観の全てかと思います。


そして そのマイミク関係のなかでこそ「日記」は  (機能的には 規制しなければ公に公開されるわけですが・・・) 開かれることになってしまっているのが ミクシィの日記の世界ですよね。

なぜなら、 あまりにも多すぎる カテゴリ分けのできない「日記」の世界を 誰も、探しには来れないからなんです。  ランダムにサーフィンするには 多くが長文すぎてしまうからです。   それでも 物好きが見ている可能性はあるでしょうが、 

残念ながら、 そのままでは、そこにミクシィ全体の発展性、価値化にはつながらないでしょう。


あしたの(3)では、 今度はミクシィの「日記」について、これもまた 考えあぐねてきた世界でもあり、いまだに使い道が見えてきていないのですが(使ってますが^^)、
書いてみます。   最終回です。

ここまで読まれた方は是非 最後まで読んでみてください。

よろしくお願いします。

今日は、以上です。

おやすみなさい。




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