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2020年01月26日22:54

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「言の葉」研究教団の解説です。

これも、先ほどアメブロに書いたものをこちらに、そのまま 添付します。

↓↓↓

「言の葉」研究教団コミュの解説
NEW!2020-01-26 22:41:52
テーマ:ブログ

今日は 「言の葉」研究教団 コミュの解説 なのですが、

そして

「言の葉」研究教団 コミュ

この色文字を押していただいて その中の「巻頭言」を読んでいただければ  さすが 言の葉研究の 巻頭言なので、 そこに言葉を尽くし切らんとして書いたと思います。

中を見れば それは読めるのですが、

まず こちらに、そのまま コピペさせていただきます。


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「言の葉」の研究が なぜ、今、「宗教」なのか?

その前に、私という人間は、今 「言の葉」というコンセプトの中に 何をしようとしているのか? そして、そては何故なのかを記しておきたい。

私は、学生の頃、   「言の葉の舞」という詩を書いたことがあった。

その頃は、ちょっと しゃれた、カッコいくまとまった文を求めていただけなので、その詩も 奥の深い達観とかから生まれたものでは無かった。

その詩自体は もう忘れてしまったが、  

生活という木にこそ、やがて「言の葉」が茂るというもの。

実り豊かな緑の命を輝かせたのち、 その記録こそがやがて 落ち葉の舞「言の葉の舞」となり、 その文化こそが、大地の肥やしとなって 新たな命の「生活の木」の芽吹きともなってゆくのだ。

という内容のものだった。

ところが、その後、 私自身も 踊りの心の世界に触れて、それが言葉では語りえない様々な感動や人の想いの深さを知り、 それをこそ表現したいというそんな表現の世界と、その価値の世界に触れることにより、   自分の書いた、上記の詩には、 何かが欠けていると思えて来たのだ。

ちょうど 農学校にいたのだが、他の人でも、「言葉では、本当に感じたことは、表せない」と主張する人がいたりした。

「言葉では、本当に感じたことは、表せない」という「文」も それもまた 言葉で、その真実のなにがしかを伝えんとする 体験から生まれた「言の葉の舞」の一つではあるだろう。

「「 せせらぎの音に耳を澄まそう。 心を静め目を閉じて、その音を心に聞いてみよう。」という詩があったとしよう。 それは、ある人たちには素通りしてゆく「言の葉」かもしれなくても、ある人たちには、それだけで 何かが癒され、生きる力がよみがえってくるような「言の葉」として聞こえてくるかもしれない。

けれども、 それは  すっかり疲れ切っていたのかもしれない人が 河原でドタンと体を投げ出して寝転がっているうちに やがて聞えてきた、 体中をいやしてくれるような、あの「せせらぎ」の音、  を 実際に、聞いた時の 感動それ自体の体験とは、比較にならないほど小さな癒しにすぎないかもしれない、・・・・うんぬん」

という文があったとすれば、 それもまた、 同じく「言の葉」によって、その限界と同時に それ以上の体験のなにがしかの香りを伝えんとするまさに、そのような「言の葉の舞」のひとつではあるのだ。

朝の太陽のエネルギー、草の葉の露いきれ、 ほんのそよゆれる野道の雑草への感動、 新鮮さの記憶・・・、 そうした大自然を表す言葉自体、 それは人にとってはすでに、単なる記号を超えた存在として 心の中に舞を舞い始める。

一遍上人は踊った。 日蓮聖人は踊りを寿いだ。

宗教の根源には、言葉では語りえない踊りの世界がある。 それこそが 人間の魂の中心であるべきだとする、あまりにも深い願い、祈り、叫び、想いの世界がある。

が、 

だが、それを、より多くの人に伝えんとする技は「言の葉」の力による何がしかが あくまで巨大な力を生み出す。

奥深い感動の世界も この忙しくつらい生活のただ中に生かされてこそ さらなる生きた「言の葉の舞」となるからである。


ただ、

私達人類は、 その生物の脳に、物事やそれをとらえる心それ自体を「見つめる」能力が宿った時に、人間と呼べる生物となり、 やがて、物事を分析したり分類したりして、よりよい物事を選択することで反省し進歩する能力を獲得してきたわけで、  だからこそ、あらゆる、生活の地にそれぞれ この生物は言葉を生み出し始め、さらなる発展の基盤が築かれてきたのだけれど、

心それ自体を「見つめる」能力の方は しだいに薄められてきてしまい、 やがて、 今の時代となっては  

「本当に感じたことは、言葉では表せない」と言われてさへ、それだけではピンとこない脳となってしまっているのだ。

だからこそ、 今の時代には 「言の葉」と書く ただの「言葉」という記号を超えた日本語の言葉に目を向け、 言葉以外のものを伝えんとするそんな言の葉の研究をしてゆく闘いこそが  私達の「宗教」となるべきなのだと 私は思う。

アダムとイブの神話も、キリスト教とイスラム教では解釈がまるで違うが、根本のところは素朴なタマシイに人類が帰りゆく帰還の詩である物語なのだろうと思う。

そして、それこそが 人類の知恵者たちの 悲願であり続けたのだと思う。

今となっては トータルには、そのための総合表現文化が必須だ。 踊りを忘れることはできない。  しかし 踊りもまた それを、その深さを語る「言の葉」無しには、もはや そが帰還のパワーに欠けてしまう。

私は、本教団としては「華友希徳教団(げゆうきとくきょうだん)」コミュを創っている。

URL:https://mixi.jp/view_community.pl?id=6346106

こちらの研究に興味が持てた人は、是非 本教団コミュにも入ってほしいが、

この教団自体、「言の葉」の研究なしには なりたたず、 しかも、最終ステージ(第三ステージ)においてはふたたび、「究極の言の葉」と言える ある言葉に帰還してゆくのだ。

今の本教教団コミュは、第一ステージ(それ自体、質的におそらく世界一質が深いと自負している)にすぎない。 その「究極の言葉」は、今は深すぎて語れないが、

その中身も やがて、こちらでこそ精査してゆこう。

総合的ではないので こちらの「言の葉」研究教団も、ネットコミュとしては 兄弟教団コミュとなり こちらが本教団コミュではないのだけれど(すこし、ややこしいですね^^)、

「言の葉」の舞は、 結局 あるべき現代の宗教の アルファでありオメガでもあるほどの大事な世界、 

「言の葉」の研究が、いま なぜ「宗教」なのか?


いや、 情報化時代の今こそ 宗教こそ 「言の葉」の研究を さまざまに奥深く追求してゆくべき時であり、  「言の葉」の研究こそが、現代に必須の 現代に必要な「宗教」そのものとなって行くのだ。


人間として生きてきて、 言葉の本質を ここまで深く追求したい人、 ソシュールに欠けている「言の葉」の世界 そして言の葉の舞の世界を 言語学の方からも研究してみたい人、 言葉の好きな人、言葉を愛する人、言葉をほんとうに命の中に生かしなおしてみたい人、

そこに人類の悲願を感じる人、古の賢者たちの祈りを感じる人、

どうか この「言の葉」研究教団に集まってきてほしいと思う。

よろしくお願いします。

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「巻頭言」は、以上なのですが、  今の私の文には普段、いわゆる文体というものがありません。

これは、 文章好きな私が 40歳代の頃、 ある衝撃で それまでの数十年の文章の追及のすべてを忘れてしまったからなのです。

ショックで 何年か何も書けないでいた間に 私の文には文体が無くなってしまっていました。

その場その場で文体が変わり、 いい文とは何なのかも思い出すことも出来ず、 それでも文章を書くのは好きでしたし、解りやすく書くことならできるかなと思って  それからも文は機会のあるごとに書いてきました。

この「巻頭言」の文には、 数十年ぶりに もともとの私の文体のようなものが出ている気がします。  (以前の文は、記録も記憶もないのですが・・・)

なので、自分で読み返しても 何も付け加えるところが無いような気もします。


しかし、一番大事な点は、 さらに 繰り返し繰り返しお伝えさせていただきたいと思います。

一番大事な点は、 どんないい文章、どんないい言葉やその組み合わせを持ってしても、 言葉だけでは 物語りえない人生や 感じる世界の深みがあり、 だからこそ そこに歌があり 踊りがあり、絵画の世界があり、 それでも語りえない感性の深みがあるからこそ、それらのすべての表現が愛されるべきなのであって、

言葉とは、「言の葉」とは、そのための道具の舞でしかない ということなのです。

文章は、また 言の葉の舞は、 競うためのものではなくて、やはり、そのための、

そう言葉では語りえない、がゆえに人間をどこまでも深く信じることのできる宗教の世界を表現するための  道具であり、舞なのだという点なのです。

矛盾しているように思えるかもしれませんが、

このことをこそ、何度も何度も繰り返し繰り返し、あらゆる角度から語る言葉を 語りゆく「言の葉」を積み重ねてゆくのが、 この「言の葉」研究教団の アルファでありオメガだと思うのです。

やがて、それは、シナリオや演劇の世界を通して「映画」という総合芸術にも昇華してゆく創造の翼を生み出してゆくものです。

が、 人類が手に入れた最大の文化「言の葉」の舞の世界も、それでもなお より素晴らしい文化の華を独自にもどこまでも 咲かせ続けるでしょう。

この教団コミュが どのように発展してゆくのか、 それはその今後を見守っていてみてください。

同じことの繰り返しになってしまったかもしれませんが、

どうか、よろしくお願いいたします。



以上です。


おやすみなさい(^_-)-☆☆☆☆☆☆☆☆♪


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