mixiユーザー(id:66434493)

2019年10月24日00:17

64 view

 「下賤芸能教団」の名前変えようと思う。 教義ができたので。

 教義に合わせて 「下賤芸能教団」の名前を変えようと思っている。

ともかく 教義、読んでみてください。


教義 7項目
1、われわれは、世界中の宗教を大改革する。  
けれど
そのためにではあっても
けしてどんな宗教も批判はしない。 ただ傾聴する友であり続ける。

全ての人は 同じ血の通った友。
自身が 最高に深く正しい道を歩いていれば、 自然にどんな宗教も それだけで すべてはやがて大改革されてゆく。 

2、われわれは、「下(げ)」という一字を愛する。 「下(げ)」という一字を抱きしめる。
あらゆる苦しんでいる人 がゆえに人生の失敗の渦にも巻きこまれている人、そんな環境の中にて、つい小さな犯罪を犯してしまう因果に巻き込まれ、人から白い目で見られ、生きなおす力を失っている人、それが進んで心身壊れてしまった人たち、  虚弱な人、障害を負った人、体を壊した人、体力を失ってゆくご老人たち、 実際に紛争や差別で虐げられている人、 ・・:・苦しんでいるすべての人たちを、 下からささへる友達としてどこまでもどこまでだきしめる。
我々の道は、 すべての人が人生をやりなおせる道であり、元気のない人も犯罪者もこの世から無くしてゆく、最高の道なのだ。


3、われわれは、芸術や 芸能を世界一愛する教団だ。
そのために、 心の直接的表現の原点としての芸術、「歌」と「踊り」と「絵筆」を愛する。
その三つを われわれは 三種の神器ならぬ 三種の心技と名付けて、芸術や芸能の三本柱とする。
心の軸となるものは、 言葉だけでは表現できないからだ。
が この三つを軸とした、芸能はすべてが その軸をさらに豊かにしてくれる。
映画も 演劇も 劇画も写真も、アニメもミュージカルも、そして文学や詩も、 あらゆる芸能がそれによって 人間文化の軸となり、三本柱をさらに発展させ、人生や心の軸をより豊かにより新鮮に、高め深めてくれるものとなる。
この宗教大改革の道は 芸術文化をも大改革してゆく道となるのだ。
われわれの作り出すお祭は、やがて世界一のお祭りとなるだろう。

4、「華」というのは、仏法の歴史の行きついた日蓮に昇華された「南無妙法蓮華経」の中の「蓮華」の「華」をも意味する。
蓮華という華が 泥沼の中に咲く華であることはよく言われている。しかし、欲望の対立の中に置かれている複雑なこの世の中に、その華をさかせるのは難しい。 善も、すぐに自分が善人と思われたい心、自分自身のその心的欲望に、つまり偽善にまみれてしまう。 なので、そこには そのまえに「妙法」という二字の理解が必須となる。
「妙」という、妙(たえ)なる調べの五感が無ければ、「法」の究極である愛や慈愛もむしろ苦痛となり 軟弱さを逃れられず、厳しいこの世では、蓮華の華とはならないからだ。 欲望そのものも花となりうる。が、そのままでは、目に見えにくい形で 醜い争いの種が増えていってしまうだけだからだ。
われわれにおけるその7文字「南無妙法蓮華経」の唱題行は、世界から偽善や嘘の必要性を無くす道なのだ。

5、この「下」と「芸」と「華」の三つは、人類の今までの過去全ての宗教を大改革するうえで必須の三つとなる。 この三つは一体となり循環して交互に高めあう関係であり 一つとなって燃え上がる時、 人も世界も変わってゆく、世界の宗教は すべて本来の宗教へと帰りゆく。

西洋の一神教の帰結は、 「神は存在するが、絶対は絶対に私達人間には解らない」というものだった。  多神教の究極は一神教の本質と同じだ。 なので多神教の帰結も同じになる。
しかし それはすでに、仏陀が指示していた内容だ。
こうして本来、すべての宗教の本質は 同じアルファとオメガをもち、未来へとむかっていく。
ここにて、すべての宗教間の争いをも無くす宗教が生まれた。
ここにて 徹底した心の財の実証主義の宗教が生まれた。
こうしてここに、まず人間をこそ 徹底して信じる宗教が生まれた。
人間を徹底して信じたい人たちのための そのための「下芸華」の魂を持った宗教が生まれた。

例え 神が不可知であり 死後が不可知であろうとも、私達人間同士が最大限に信じあえる限り、そのまま 命も存在も私たちは死を超えて信じることが出来るようになる。   嘘の全く必要のない宗教がここに生まれたのだ。
 存在自体が、不可知なほど不思議であるからこそ その時、そして最期の時には人間は目と目の中に人は また会えると信じる事ができるんだよ。

6、 「下」と「芸」と「華」の三つの解があれば、 われわれは、最大の人生再チャレンジシステムを作り出せる。
「後の人が先になる」 と言ったキリストとともに、ここにこそ ほんとうの下克上を生み出し、 あらゆる人を仲間にして 社会を改革してゆくのだ。

下賤の我々こそが、芸術と 唱題の妙合の力で 社会のあらゆる問題を解決してゆくだろう。

私たちはビジネスの世界を一変させる。 なぜなら、私たちの心にはやがて どんな雑草もそこにそよ吹く小さな風も心身の奥の奥まで癒してくれる宝物として見つけるようになるからだ。 今どんなお金持ちも貧乏人も お金に とらわれなくなる。 世界中が 私たちちの豊かな豊かな庭となるからだ。大庭園となるからだ。  お金は 資本主義の段階ですでに 平等は当然実現化に向かい、人間は最大限に創造的にお金を使いまわし始めることが出来るようになる。
また
心癒された私達の性は、欲望で動くことがなくなる。 これこそが 最大の人口問題の解決へと向かってゆくことだろう。 他の方法では そこには無理がかかるだけ、何の解決も生まない。  そこでは食料は 大きな流通革命により すべての人に到達するだろう。

ゆっくりと 焦らずに エネルギー革命をもしてゆける。 実際には一番早くだ

 我々こそが立ち上がれば、ネット民主主義が自動的に県民民主主義となる。

北朝鮮も 中国も 日本が再び活性化するのを見て ネット民主主義に移行するだろう。

人類の悲願である平和も こうして訪れる。

軍隊はどうなるのか!  まずは特殊部隊化し、諜報活動化し、つぎに解消してゆく。 平和運動? 核廃絶? 軍事バランス?、 〜の脅威への備え? それより もはや、こっちが先だ。

世界中に起こりゆく 高齢化社会への対応も ここからは最大限の「緩やかでも最強のボランティアシステム」と「トータル介護ビジネス」との連動方式によって 解決へと向かってゆく。

あらゆる社会改革が こうして 今一番 下の人たちの ただ当たり前の良心の目覚めとともにやってくるだろう。

今一番 いきづらく 今にも死にそうな人こそが われわれを助けれくれる時がきっと来る。

7、人生 当たり前でいいじゃないか。 普通の事を大切にするということの奥にすべてがある。 普通の事に そのかわり命をささげよう。 そんな気持ちでがんばろう。 その奥の奥に 最大の何物にも代えがたい心の宝物があるよ。

私は、最後 ただ当たり前に普通に母を介護しただけだった。 なのに こんなにも、私にはもったいないことが起こった。

 私の母は、 最期の最後に 静かに私の目をみつめて 瞬きもしなかった。
どうしたのかと思って おもわず背中をさすってあげようとした。
その時に ポッと口を開け(乾ききった口が開くはずないのに、力ではなく心が口を開けたのだろう)  どんな星よりも美しい笑顔で息を引き取り、旅立っていったのだ。    
阿弥陀様はいなかった。 ほかにはいなかった。 ここにいたよ。ここにだけ。




1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する