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2019年10月18日00:40

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ヤフー知恵袋に書いた回答を 転載しておきます。

今日は パソコン教室でしたが、 こちらも どんどん進めていきたい気持ちになっていますので、

実は 日蓮が音楽の必須性について語った御書についての質問をヤフー知恵袋に書いた関係で(その質問には回答がついていないのですが)、

今日、パソコン教室から帰ってきてから さきほど、 ある質問へ回答を入れました。

他にも 回答を入れたい質問があったのですが、 12時を回ってしまいましたので、

今日は、こちらに、その私の書いた回答を 転載してみたいと思います。

質問→ 夢(睡眠)を見るは思考停止ですか!思考開花ですか?

という簡単な質問への回答なのですが、 簡単な質問でも「夢(睡眠)」というふうに、端的なこの質問の骨子になる部分の但し書きがあるため、 質問者はしっかりした考え方の人だと推理されたからです。

私の回答です。↓

私は子供の頃病弱だったもので たくさんの夢を見ました。

肺炎で死にそうになったことも幾度かあり、 どうせ死ぬのであれば 夢と現実とは違いがあるのだろうか?とか 子供なりに考えたこともあります。

また その頃、 夢から覚めてもそこがまた夢で それが覚めてもまたそこは夢という状態が十数回もつづいた夢を見て、 いよいよ 夢って現実とどこが違うんだろうとすっかり考え込んでしまったことがありました。

ぼやけた夢なら違いはすぐに、 覚めたらですが、わかりますが、 視覚も聴覚も痛覚もともなうリアルな夢の場合、 病弱の意識状態とほとんど変わらないことがあります。

なので、 子供ながら 真剣に考えてみたわけです。

すると、まず気が付いたことには、

「夢の中では 反省することがなぜかできない。その能力が働いていない」ということでした。

これは、動物の脳に、物事を見つめる能力が宿ったことから 物事を区別し区分けしてより良い方向に進むために 反省し進歩してきた人間の 人間らしい脳力が、夢の中では、はたらかず、 映像などのすこしぼやけた五感(匂いや香りや微妙だけど何か大切な感覚は働かない)なのに、 その流れに意識が巻き込まれてしまっていて、流されてゆくだけとなり、 そのために、 夢の中の意識では なるほど反省が出来ない状態なのだなと 今から考えると 解ってきますが、 この時は ともかく「反省が出来ないぞ」と まず一点大事そうな点に気が付いたんです。

ドキュメント映像の世界では、 物事を何の目的もなく映しまくっても そこに主題が無いのであれば、 雑録となってしまい、 その意味や価値が大きく薄れてしまうと言います。

夢の中の映像には、その雑録性は あるかと思います。 他の方の言われているように雑念の反映の世界です。

でも 同時に、 現実の中で受けたインプレッションのなにがしかが反映されてもいるので、 その人の人生に影響するような夢、時としておおきなヒントとなるような夢を見ることもあるかと思います。

でも それを本当に生かすことが出来るのは 夢から覚めた実人生での思索の内にあると思うのです。

またもう一点、

子供なりに 夢と現実との違いを考えての結論のようなもので、 一番強く感じたのは、 夢の中には友達がいない、 それは映像でしかなくて、 友達ではない、

友達は、 この大地にこそ 確かにいる。 夢の中ではそれはその幻影でしかない。

という当たり前のことだったのですが、

あれ?! これってすげー大事なことじゃん と思いました。

子供の時 深く考えることが出来たということじゃないのですが、 そんなふうに感じたとたん、答えが見つかった気がしたという事です。

「夢を見るな、現実はそんな甘いもんじゃない」とよく言われます。 一理も二理もある言葉かと思います。

でも人間的な夢なら、 人間がもっと友達になれるような夢なら 厳しくても 失敗だらけでも それでもむしろその夢を追いかけるのが この現実の大地の目標ではあると私は思えています。

そんな夢に向かって、せっかくの人間に与えられた反省脳力を生かして 人間の思考はやっぱり 進歩し続けるべきだと思うからです。

夢も 思考にプラスになることはありますが、 反省思考が停止し、仮に夢の中の思考だけで人間的に成長できたとしても、 それを生かせる思考が出来るのは夢の中ではないと思うのです。

つまり、 それを 「思考開花」というのであれば、 夢(睡眠中)の状態の中の思考は「開花」している状態とは言えないのではないでしょうか。 とうのが 私の考えでは 結論となりそうです。
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