mixiユーザー(id:66434493)

2019年08月25日23:24

41 view

日記としては、今日録音した歌の中で「風雪ながれた旅」を再び紹介します。

この歌は、ずうっと 追求し続けている歌です。

自分の踊りの道と重ね合わせて歌える歌だからです。

今日は まだ 声にいろいろ不備がある中、 それなりに声は出たのですが、なので この歌は いちおうまともには歌えたとおもえるところ、  この歌に関しては、″これもまた進化の過程″と受け取っておいてほしい歌なんです。








さて、この歌のモデルは、高橋竹山という津軽三味線の名人の若い頃の芸の道とその生活を歌った歌ですが、

私自身の踊りの道も、 極寒の地での修行^^もあったんです。

ところが、そんなふうに 気持ちは高橋竹山にも負けないつもりの求道の道を歩きながらも、

それが人間の弱さなのか 私が弱すぎたのか、  ある時から (いまから二十五年ほど前から) 私の心身は委縮してしまい、 実は、ほとんど以前のようには踊れなくなる時が来てしまいました。

新しい道には、巨大なプレッシャーがあるのだと思います。


実は、今日、久しぶりに、カラオケですが ビートルズの幾つかの曲で踊ったのですが、

何かが溶けた気がしました。

長い長いなにかの呪縛のようなものがです。

もう 体力も残り少なくなってきているこんな歳となってから もしかしたらやっと委縮から解放されようとしているのかもしれません。

「下賤芸能教団」という また新しい道の開拓を始めているわけですが、 この人間的な意味が この存在、あるいは神かもしれない力から認められたという事なのかもしれませんが、  さあ こんな歳となって その責任感だけで どこまで その使命が全うできるかどうか?

どうせ、宗教的生き方とは できうる限りのことをすればいいだけなのです。

存在や神は どんな悪に対してすら、罪を問いません。

懺悔ではなくて やりなおし、生きなおし、いきつづけることだけを語り掛けてくる世界です。

私たちは罪に苦しみますが、他人をとがめることは地裁の浅さを意味します。

できれば、だれをもとがめずに、再生の道をどこまでも応援したいです。

それが「下賤芸能教団」という宗教の在り方なんです。

その中で 「芸能」は、癒すことで 人の心にすべてをやり直す力を中軸を作るパワーとなります。

その中でも 踊りこそが本来は最大の人を癒すパワーを持った世界のはずなんです。

歌と合わさればいいのですが、それは理想です。

ただ 踊りがうまく 自分本来の姿に戻れば、今なら それは可能かもしれません。

当然 ほんとうは、踊りが 完成してほしいですね。

高橋竹山における三味線のようには いかないかもしれなくても、 出来る出来ないを超えて その生きざまは 生きてみたいですね。

今日は、以上とさせていただきます。


おやすみなさい。


1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する