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2019年07月20日23:10

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性について(その1)

【お知らせ】

いよいよ、きょうから性について書いていきますが、 その前にお知らせです。

「下賤芸能教団」コミュの、姉妹コミュとして先ほど「死後の世界がなくても!」というコミュを作成しました。

URL:https://mixi.jp/view_community.pl?id=6347957&from=home_joined_community#

もうひとつ、何日か前に「解りやすい宗教批判」というコミュも立ち上げています。

URL:https://mixi.jp/view_community.pl?id=6347735&from=home_joined_community

巻頭の写真がきれいだと思うのですがどうでしょう?

みんなスマホで撮ったものです。

「死後の世界が無くても!」コミュの方の写真には、森の中で偶然 観音様の影が見えたのでパシャっと写したものですすすす、 ウソですが^^。

本コミュは あくまで「下賤芸能教団」なのですが、 これだと入りにくいですよね。

こうした姉妹コミュを無数に作ってゆくのも 私のビジョンなのですが、まずは とりあえず宗教関連の別コミュを作ってみたわけです。

興味の日かれれるコミュがありましたら まずは そこから入っておいてください(^^♪



本コミュのURLも貼っておきます。

URL:https://mixi.jp/view_community.pl?id=6346106&from=home_joined_community

こちらの写真は 母の介護をしている時に、母が富士山が好きだったので よく金時山近くの公園に連れて行ったのですが、そこから撮った写真です。

以上お知らせでした。


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《性について》(その1)

私は、性は、この人生の中で一番大事な思索ポイントだと思っています。

ですが、学校ではもちろん、誰も性については、ほんの衛生面とかとか^^。ぐらいしか教えてくれません。


何々式なになに とか^^。

とくに、性と心の世界については 誰も教えてくれていないんです。

一番肝心なことなのに、 性の快楽についてのほんの表面的なこととか技法?とかを医学者がすこしだけ書いていたりするだけです。

他の著名な学者の 性についての哲学のようなものは、私の知る限り、かえって おかしなのばかりです。

一人一人が 体験では けっこう いろいろ深くも知っているはずの世界。

なんで 本とかでは こんなふうになってしまうのでしょう?

学者たちは、いったいどうしてしまったのでしょう?


私には その謎は、こんなふうにしか考えられません。

それには二つの大きな観点があるのですが、


ひとつは、 人類の ″「歴史」の世界″の 短さという観点です。

縦に時間を追いかけてゆくと 

人生かりに平均50歳の寿命だとして(長生きした長老たちを考えてです) メソポタミア4000年からの文明史は、4000割る50で計算すると、たったの80人しかいません。

たったの80世代と考えると、 ふと納得のいくところが出てくるんです。

まずメソポタミアで 言葉は 草(パピルスという草だったかと思いますが)に書き記されることから、 その記述(歴史の史料)の意味でも まさに「歴」「史」がはじまったわけです。

実人生の経験が 文字に書き残され、つみかさなる文明史がこうして始まったわけです。

それ以前にも 大きな交易は生まれていたことが考古学などで知られていますが、 いわゆる学問的「歴史」の世界は、 たったのまだ4000年の時間しか経っていないわけです。

イメージとしては はるかに はるか〜〜〜に、長い長い歴史ですけど、 たったの80世代というふうにまず ここをイメージしなおしてみておいてください。

この記録の世界は、 たしかに 複雑な複雑な交流で 広大な情報が生まれてきましたし その記録も 印刷技術の発達で さらに巨大化していったわけです。

だから 仏教なども 八万宝蔵の豊かさを持つ世界とか言われていたりするわけですが、

ここも 一度  現代の情報洪水の量の多さと比べれば ほんの雨水の一滴にすぎないというふうに その量自体には 驚かないでおいて欲しいのです。

本質は なんだったのか、 今の情報時代にこそ 考え直してみてほしいのです。


性が どれだけ この人生で大切なものなのかについて、 まるで忘れ去られていたりするのも むしろこの複雑な まるで洪水のような雑多な情報の流れが生み出してしまった迷妄の世界がそこにはあるのだと思えるのです。


もう一つの観点は  宗教による 性の不浄感です。

いや アダムとエバの物語にしても  天照大神の話にしても 本来の森の中での素朴な性の世界への回帰を歌ってはいると思うのです。

でも、 宗教は、その広がりのためにも権力と結びついていったし、 権力側も秩序をまもるために宗教を必要としたし、 そこに商人たちの応援まで複雑に絡んで 御用宗教思想が生まれてきたときに、  その思想は なによりも 社会秩序を 上からの形で優先して  性の不浄感が こうして世界的に生み出されてきてしまったわけだと思います。

性はいやらしいもの 不浄なもの、 ただ一夫一婦制などの家族単位においてのみ許されるもの(一夫一婦制は 制度以前に太古からの習慣として定着していますし それ自体になにも反対というわけではないですよ。 別に別の形体も考えられますし自由だとはおもいますけどね)となり  厳しい規制がおこなわれるような、そんな歴史の資料だらけの歴史が^^生まれてきてしまったわけです。

今日は、ここまでとします。

明日は、その御用宗教思想について もう少し追いかけておきますね。

なにしろ、キリストが生まれた頃にすでに、 夫婦以外のセックスは 殺人に等しい刑罰を受けていたのですからね。  恐ろしい歴史の世界です。

神道では そのへんは緩いものであり続けたかもしれませんが そこにも詳しく言えば極端なまでにおかしな世界も秘められていたりします。 下賤芸能教団は 一番に神道を応援する教団なので、そのへんは、深追いしないのですが、そしてその「おおらか」な面をこそ強調するのですが、   それぐらい、 当時の いざ集落が巨大化して 王権が生まれてきた世界の宗教と権力の癒着はすさまじかったことを物語るものがあるという事だと私には思えるという事です。

では、明日からの、このつづきも 是非、お楽しみに♪

(つづく)










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