敗戦した日本を立て直すため。多くのトラックが焦土の日本を駆け巡った。
当時は高級車と言われた小型車枠をフルに使ったトラックが作られた。
もちろん車種の作り分けもされず、クラウンの顔のトラックが、荷物を満載して走り回った。独立フレームを持ったクラウンは頑丈で高負荷に耐えた。
これらはクラウンとの差別化からクラウンと名を冠せられず「マスターライン」と名付けられた。
初代マスターライン(クラウンではなくトヨペットマスターがベース。マスターラインの名の由来)
二代目。「観音開き」と呼ばれたクラウンベース。
三代目。クラウンと同じ6気筒エンジンを積んだ物もあった
四代目。最後のマスターライン。
他にも6人乗りのダブルピックもあり、ドカタ6人と作業道具を乗せて工事現場に運んだ。
今の趣味のトラックと違い、純粋に働く車であった。
最大積載量など無視、その倍も積んで疾走した。
そしてその多くは、その苦労を労われる事もなくスクラップ、鉄屑となった。
自分は実用性最優先こそ、トラックの本質と思う。
ドカンとごっついド迫力顔に! トヨタ、「ハイラックス」を刷新、国内唯一のピックアップトラック
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=128&from=diary&id=6202314
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