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2020年06月25日02:11

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初期型を崇拝することなかれ

当時、ランボルギーニに採用された三人。

ジャンパオロ・ダラーラ、パオロ・スタンツァーニ、ボブ・ウォレス。
ダラーラはなんと24歳、スタンツァーニとウォレスは25歳だった。
ダラーラとスタンツァーニは設計、ウォレスはドライバーだった。

三人は次期ランボルギーニのGT設計を任されたかたわら、レーシングカーの設計も行った。
当時レーシングカーはフロントエンジンからミッドシップに移行していた。
ご存じの通り、ランボルギーニは「レースに出ない」が社是であった。

しかし3人は「なあに、これを見れば社長もレースに出る気になるだろうよ」

3人のこの甘い考えは一蹴された。

社長のフェルッチオ・ランボルギーニは、自身の苦い経験からレースは危険な事と嫌っていたが、それよりこんな暑くてエンジン音が頭の後ろから聞こえてくる車を嫌った。

フェルッチオが作ろうとしているのは、スポーツカーではなく、高品質で快適な「GT」なのだ。

しかし人情家のフェルッチオは頭ごなしに突っぱねるのではなく「まあいい。どうせそんな車、売れないんだから」とプロジェクトを容認する。

しかしフェルッチオは宣伝のため、そのミッドシップ車のシャシーをミラノショーに出品。観客は度肝を抜かれ注目した。

「いよいよランボルギーニ、レースに出場か?」とも言われた。

フェルッチオはさらにそのシャシーにベルト―ネデザインのボディを架装、レース場前に展示した。話題騒然となった。注文客が殺到した。

しかしミウラは開発途上段階だった。ミッドシップレイアウトゆえのコックピットの暑さ。横置きミッドシップゆえのシフトの渋さ。アクセルが戻らないなどの欠陥。
ボディ剛性の弱さなど・・・

しかし注文に応じるために見切り発車的にオファーされた。当然クレームが来る。

今でもイタリアンスーパーカーは出して欠陥が出れば直して出すという、多くの犠牲の上に成り立っているが、まして当時はなおさら。

1968年には108台の初期型「P400」が工場を出たが、早くも12月、改良がくわえられた「P400S」となる。つまりP400は未完成品だったのだ。

車体の強度不足から、126台目から鉄板は0.9个ら1个箸覆襦

これにより、ようやく70扁平のタイヤを履けるボディ強度となった。

ミウラを作った人たちは「これほど誇りを傷つけられた車はなかった」と憤る。

欠陥車のまま販売させられた悔しさ・・・

ダラーラはこの年の8月にランボルギーニを去っている。

理由はランボルギーニにいたのではレースカーに携われず、そこにモータースポーツに力を入れるデ・トマソの誘いがあった。

逆にボブ・ウォレスはミウラを材料にした実験車ミウラ「J」を製作、その技術を高性能版市販車「SV」にフィードバックした。

「J」が「イオタ」と呼ばれた事は、みなさんも知ってる事であろう。

初期型など未完成品。もろ手を挙げ礼賛する物でもないと思う。


めちゃくちゃ貴重な初期モデル 1968年製ランボルギーニ「ミウラ P400」がオークションに、億超え必至
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=128&from=diary&id=6132512
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