1963年の第一回日本グランプリは「メーカーはノータッチ」の紳士協定があった。
しかし盗用多はこれを無視、積極的な関与で車をチューン。
一方、バカ正直に協定を守ったプリンスは惨敗した。
市販車では進歩的思想と高度な技術で圧倒的な性能を持っていたプリンスは、レースに惨敗したことで一気に信用を失い、販売に影響した。
雪辱を果たすべく、プリンスは次の日本グランプリで勝つ車を作った。
責任者・櫻井慎一郎の「スカイラインにグロリアのエンジンを積もうじゃないか」の提案で、4気筒1500ccのスカイラインにグロリアの6気筒2000ccエンジンを積み、ウェーバーキャブ3連装で武装したスカイラインGTが作られた。
鈴鹿サーキットで、日本車として初めて2分50秒を切り、日本最速車となった。
誰もがスカイラインの勝利を信じて疑わなかった。しかし・・・
またも盗用多は汚い手を使った。
なんと!ポルシェの最新スポーツカーを入手、自社の契約ドライバー・式場壮吉に与えた。
たしかにGTと同じカテゴリーには違いはないが、車の生い立ちが違いすぎた。
片やレーシングカーからのフィードバックの塊。こなた市販車の改造車。
ましてポルシェは世界の名車。一方、プリンスは後進国・日本の弱小メーカー。
F1と、たとえクラウンのエンジンを載せたとはいえ、カローラがレースするようなもんである。
当然、ポルシェがぶっちぎりで走る・・・しかし奇跡は起こった!
なんと!スカイラインがポルシェを抜いたのである!
https://www.youtube.com/watch?v=mN9rAlSHmlU
日本車がポルシェを抜いた!観客は総立ちとなった。
堂々とポルシェを従えて走るスカイライン。夢のような光景。
次の周であっさり抜き返されたが、たとえ一周でも、日本車がポルシェの前を走ったのは事実である。
二位に負けたスカイラインだが、観客は惜しみない拍手を送り、次の日の新聞には「泣くなスカイライン。鈴鹿の華」の見出しが踊った。
それ以降、プリンスはポルシェを目標としライバルとし、日本初のプロトタイプレーシングカー「R380」を作りポルシェとの死闘を繰り広げる。続くR381、R382は無敵の快進撃を続ける。
ツーリングカーでも、スカイラインGT-Rの勝ちっぷりは伝説だ。
一方、盗用多はろくな成績を残せなかった。
「技術の日産。販売の盗用多」と言われる所以である。
ヤリスGR-FOURとスポーツドライビングの未来(後編)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=40&from=diary&id=5934725
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