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2019年02月12日14:08

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輸出ジョッキーの苦難

道川満彦

http://baji.cocolog-nifty.com/okera/2007/08/post_c155.html

「日本一小さい」公営益田競馬場所属。1974年デビュー。
トップジョッキーの一人となるも、低収入のため、1989年、活動拠点を海外に移す。
益田のトップジョッキーは、マレーシア・シンガポール競馬で「カミカゼスタート」と言われるほどの飛び出しでリーディングを獲得した。

しかし1990年、シンガポール競馬での八百長の疑惑が持ち上がり、その疑いを晴らすための訴訟で日本〜シンガポール往復のため多忙となり、疑惑は晴れたものの次第にリーディングから遠ざかる。

1992年からJRA騎手試験を受験するも、三回不合格になり、マカオ競馬で調教師に転身。
しかし思うように馬が集まらず再び騎手に。だが騎乗機会に恵まれず1997年にムチを置いた。

以後は益田に戻るも、シンガポールで調教助手など競馬にかかわりたいという希望を持っていたが、それも叶わず、2007年死去。地方競馬通算成績は5585戦1033勝。

ずっと昔、世界を夢見て日本を飛び出した地方騎手がいた事を知る人は少ない。

■27年ぶり「逆輸入ジョッキー」誕生 6度目の挑戦
(朝日新聞デジタル - 02月12日 11:42)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5494510
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