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2018年10月14日23:54

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溝下三代目

工藤会は九州の博徒・工藤玄治の「工藤組」から始まる。

工藤の子分の草野組・草野高明が殺生事件を起こし服役。警察から「組を解散しないと、親の工藤に迷惑が掛かる」と脅され、当時公共事業に関係していた工藤の迷惑を考え解散。しかし、勝手な解散と工藤は激昂する。
工藤にとってみれば、公共事業より子分が大事だった。
それ以来、工藤と草野の確執が始まる。
工藤組と、新しく作った草野一家はたびたび抗争、死者も出た。

この親子のケンカを心配していたのが山口組三代目・田岡一男と、稲川会初代・稲川聖城であった。稲川が草野を説得し、工藤の自宅まで伴い「親孝行してくれよ」草野が「親孝行させて頂きます」工藤が「草野、頼むぞ」の一言づつで和解が決まった。

帰る途中で稲川が田岡に事の顛末を報告。田岡は「ありがとう、君がいつ出てきてくれるかと待っていたんだよ」と労をねぎらった。

草野の死後、若頭だった溝下秀男が草野一家二代目になる。溝下は草野が収監されていたとき隣の房であった。当時愚連隊だった溝下は、草野を熱い目で見ていた。

溝下は二代目を襲名した時、組織の改革を行う。
組織名を「工藤会」と改め「工藤会二代目法要」を行い、死者である草野を正式な工藤会二代目とした。
初代工藤玄治、二代目草野高明として道筋をつけ、自身は工藤会三代目を襲名する。

その後、工藤会理事だった野村悟に組織を禅譲。
野村は「年も同じだし、永遠に三代目について行くつもりだから」と固辞。
しかし溝下の「これだけにした組織や。だれが見込みのない者に継がせるかいな。俺が見込んだ男やないか」と説得。野村も「困ったな」と思ったが、これを承諾した。

性格は温厚で饒舌、人なつっこくて人情家。いまだにその人柄を慕う人は多い。

■ヤクザの幹部をやめて「うどん屋」に…「今度は死ぬ気でカタギをやるしかない」
(弁護士ドットコム - 10月14日 10:02)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=149&from=diary&id=5330551
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