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2020年07月27日12:44

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迷惑をかける、ということ。

友人に愛煙家がいて、彼はこの4月以降、東京都受動喫煙防止条例は違憲無効ではないか?!と盛んに吠えており、
法律家として、違憲無効訴訟の要件を立てる面白さからついついその話を聞いてしまった。
私はたばこを吸わないし、家人は喘息の持病がある。なので、喫煙者としての彼の主張は全くぴんと来ない(なんでそんなに吸いたいのだ…)のだが、
しかし、それでも彼の持論には何か私を引き付けるところがあり、
なぜこの男の、この主張に自分がこれほど興味を持つのか、と考えてみると、
結局、「ひとさまにめいわくをかけてはいけません」という、聞こえのいいスローガンのもとに、全員優等生のような、そんなお利口さんな国民を良しとするような、そんな風潮が納得いかないからなのだ。

思えば4月、緊急事態宣言を受け、山岳四団体は、概略「医療機関にめーわくかけたり、地元や救助隊にめーわくをかけてはいけません」、だから山に入るのは止めてください。という、全く理解できない声明を出し、私は仰天した。んなことあるか。そもそも登山なんてコロナ以前から、医療機関にも救助隊にも地元にも、大、大、大迷惑な行為である。この迷惑、今に始まったことじゃねえ。今まで迷惑じゃないと思ってたなら、それこそ大問題である。ひとさまに迷惑をかけたくないなら最初から登るんじゃねえ。おうちでおとなしくおっちゃんこ(→北海道弁)してろ。そして、そういう「おっちゃんこしてろ」という、およそ山を理解しない社会の風潮にあらがって、登山者の主張を代弁し、この状況の中で、可能な限り合理的なルールを設定し、登山者を守ってこその、山岳団体ではなかったのか。と思ったわけである。迎合するだけが能の団体なんぞ、いらんのだ。

ひとさま、つまり多数の人間に迷惑だから、少数者は、その趣味、やめて。ということ、それがまかり通る社会が、それが健全なのか。これは要は、大多数のために迎合しない人間は、迷惑だから、抹殺してしまえ、ということなのではないか。

そして、「他人に迷惑をかけるな!」という言説は多くの場合、他人=オレ、に等位変換可能で、つまり裏を返せば、オレに迷惑かけるんじゃねえって言説である。それは、自らが社会に迷惑をかけながら生きて来たし、これからもそうやって生きていく、だからお互い様なんだ、生きていくってのは「迷惑をかけ、またかけられること」なのだ。という寛容性の著しい喪失につながっていく、気がしてならないのだ。

このままでは、目を吊り上げて「俺に迷惑かけるんじゃねえ!」という、「お利口で健康的な国民」になることばかりが奨励され、ささやかな外道クライマーは迫害される。それはクライマーとして困る。というだけではなく、なんかそんな社会で、ほんとにいいのかよ。という気がして仕方がない。

条例制定以降、息が詰まりそうだ!と友人は叫んでいるのだが、それだけ叫ぶ肺活量があれば、息は大丈夫だと思うのだが、ただ、彼のその叫び声になんとなく共感してしまうのは、滝を登る、という、些か珍しい、そして迷惑な行為に魂を賭けている人間として、やはりこの社会が息苦しい方向に動いていくことに、危機感を感じているからである。まあ、わたしゃ声がでかいうえに、ひとさまになにか言われても気にしないので、私自身が困ることはないと言えば、ない。ただ、社会全体として、本当にこの、「お利口におっちゃんこする」風潮で、いいのだろうか。それは、それこそ「人様に迷惑をかける」人間は、生きる価値がない。という方向につながっていくのではないか。と、昨今のニュースも踏まえて、改めて、強くそう思わずにはいられない。のだが、ともかくこの風潮が押し進んだら、つまらない社会になるんじゃないのか、と思えてならないからである。
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