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2020年05月08日15:51

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持続可能な社会、の嘘臭さ。

持続可能な社会、という言葉を聞くようになって久しいが、私は、この言葉にはどうにも違和感を感じる。提唱する人の善意は疑うべくもないのだが、どこかに、うさん臭さ、嘘臭さ、を感じざるを得ないのだ。

結婚してウン十年、妻を飯炊き女としてこき使いさげずみぶん殴り人格を認めてこなかったDV夫が、いきなり、いやこいつに死なれたら俺飯食えなくなるし洗い物もしてもらえないし、仕方ねえからぶん殴るの一日三発に抑えとくわ、だからこの先もずっと俺の命令に従えよ。どうだ、ぶん殴るのを控えている俺ってえらいだろう。と言っているような違和感である。だってそうでしょう。「将来の世代が必要とするものを損なうことなく、現在の世代の要求を満たすような開発が行われている社会。」って、結局そういうことじゃないの。

さらに「自然環境や地球環境が適切に保全され」というフレーズだが、これ、完全に人間目線、つまり、「環境は自分が利用するために、コントロールする対象」という目線である。自然に対する畏怖というか、我々は自然に生かされているのだ、我々は自然に立ち向かうことなどできないのだ。という認識が、ない。

だから、結局DV夫の反省会じゃねえか、というのである。DV夫は、妻に人格があるとは思っていないし、妻を尊重しようとも思っていないし、今まで妻にどれだけの仕打ちをしてきたかも理解していない。だから、妻に去られても当然の報いだ、とも思っていない。もう遅いのだ、ということも理解していない。

これってなんだかおかしくないか。本気で反省してるのか。そんな都合のいいこと許されるのか。今まで我々何をしてきたか。

別に、環境を保全しよう、という運動に異議あるわけではないが、しかし、それにはもっともっともっと、計り知れない痛切な痛みと大変革が必要なわけで、「今の世代の欲求も!将来の世代の欲求も!!」なんて甘っちょろいこと言ってる場合かよ。と思うのである。じゃあこの夏、あなた、冷房なしで乗り切れますか。

わたしゃ、もう遅いと思っている。今更、持続可能なはずが、ないじゃん。ここまで来て。ここまで空も海も山も、汚しまくってさ。そんなの、毎週山に入ってりゃ誰でも感じる。それは、私だって、偉大な山や沢はいつまでもこのままであってほしい。それは本当にそう思う、心から山と沢を愛しているから。しかし、そう言いながら、結局山には車で入り、排気ガスをまき散らし、下山したらビニール袋をゴミ箱に捨て、暑くなれば直ちに冷房を入れるのだ。こんなことをしていて、環境を保全しましょうハートなど、どの面下げて言えようか。だから、私は、環境を守ろうぜ、とは、言わない。そんなことをいう資格は、わたしにゃ、ない。

私は、この文明、つまり環境破壊の恩恵にどっぷり浸かりまくって生きてきた。だから、その結果、オゾン層の破壊だか温暖化だか知らないが、しっぺ返しで人類が死ぬときがあれば、真っ先に死んでもいい。利益を得たのだから、代償は払おう。

DV夫にはその覚悟がない。だから妻が出ていきそうになれば、おおおっとちょっと待て、ぶん殴るの、回数減らすから。というのである。

あくまでも個人的な感想である。まだ間に合うから頑張ろう!という方は大いに頑張っていただきたいと思う。だけど、私は、もう、遅いと思ってる。それは、データでも何でもない。私の直感でしかないが、ことこの問題に関しては、私はどんなデータより、毎週肌で感じる自分の直感を信じている。






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