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2018年12月10日12:47

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ミュートな日々

覚えていないような、すごーい昔はお喋りだったらしいと親に聞く。でも記憶のある4歳頃には既に内気で、そういう自分しか知らない。

いきなり見知らぬ土地に入ったことや、
みんなが年少組から鍛えられて慣れている所に、年長から新入生で入ったことは、それなりのハンディだったとは思うが、内気なのは元々の素質だったのだ。

何も動けない、何も喋れない、緊張して固まっているばかりで活動にもほとんど参加できない。何しに行っているんだろう、という感じ。
クレヨンがなくて絵が描けなくても、見つからないようにじっとしていた。それを先生は、「困った顔もしないし泣きもしないし平気でぼんやりしているんですよ」と母に話していたらしい。
もちろん、ものすごく困ってるよ。堂々と困った顔もできないくらい困っていたよ。

何かの解説で読んでびっくりしたんだけど、
緘黙の子のことを、「わざと意地で黙っている」と思う人がいるらしい。「黙っている」は「緊張して喋れない」と同義では無いんだな。見たらわかるだろうと思っていた。気が付かなかった。

小学校に入ってからは多少マシになったけれど、「喋れない子」のままだった。
先生にあてられて発表はできた。教科書の音読はできた。決まったことをただ声に出すのは大丈夫だったので、緘黙といっても軽いほうだったのだろう。
クラスメイトには、気に掛けて世話を焼いてくれる子が何人かいた。それが、小さい子に話しかけるような扱いで、参観日にそれを見た母はショックを受けたらしい。

何か話しかけられても、「はい」「いいえ」で答えられる質問しか答えられない。声も出していたかどうか。頷きと首振りくらいだったかもしれない。会話はできない。みんなで花いちもんめをするとかなら参加できる。ママゴト系は無理。アドリブで役割分担とか、現実でキツイやつを遊びでやるとか、意味が分からない。

隣の席に下校の連れの子がいたが、学校では全く話さないので、どこにいようが同じ。隣でいる意味はない。
帰るときは、どうやっていたのだろう。連れ立って行くと目立つし、そしたらクラスの人に絶対なにか言われるだろうし。
なんでだか、学校から出ると割と平気なのだ。どこでモードが切り替わるのか分からない。学校に着いて「さあシャッター閉じよう」「ここで開こう」とか考えている訳ではないので。

下校中の会話はあまり覚えていないが、
わたしが「ウサギはじぶんのウンチを食べるんよ」と言ったのをウソだー、みたいに言われてキレていたのを覚えている。
教室の中では有り得ない。でもそれが普通なんだけどね(話題の内容はともかく)。教室の中のほうがオカシイのだ。

家に帰ったあとは、近所の一つ下の子とよく遊んでいた。妹も一緒なので気楽だったのかもしれない。別に緊張なんかしない。はよ帰りたいとも思わない。山のふもとのほうで、走りまわって遊んでいた。

祖母の家に帰省した時には、いつも遊ぶまさみちゃんという女の子がいた。庭先で穴掘ったり水を流したりよくしていた。当時すでに高齢だった祖母のことを「おばさん」と呼んでいた。いつから会わなくなったのだろう。

3年生で転校した先では、近所に同級生が何人かいて、もう少しマシになった。
5年生で転校した先は近所に誰もいなくて、集団登校もなくて、また孤立しがちになった。
中学からは、一緒に行動する友達ができて、またマシになった。

わたしが何か変わった訳ではない。すべて周りに人がいるかどうか、の力である。

緘黙状態が克服できたかというと、よく分からない。
ある時点から、必要な時に必要なことが伝えられたらそれで十分、と開きなおった。無駄話ができなくても何も困らないじゃないか。普段喋らなくて必要な時だけ喋るキャラ、それもアリだよと思った。

今でもそんなにシャッター全開とは思っていない。
半開きのまま、時々手を伸ばして必要なものを取っていく。そんな感じ。
学校の先生は、おとなしい人にいきなりの変化を求め過ぎていたと思う。寒くて着込んでいる人に、急に裸で外に出ろと言うようなもの。それはただの無茶だと思う。
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