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2019年04月21日17:40

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成熟した精神で老いるか、精神が未成熟な哀れな人生観を抱えたまま老いるか

■「論破」したがる人への対処法は「中学生だと思って」 しいたけ.さんがアドバイス
(AERA dot. - 04月21日 11:30)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=173&from=diary&id=5590267

精神的成熟度が中学生程度はもう精神病態的にどうにもならないとして、おそらく昔話題になった日経に寄稿していたろくでもない芦屋というコンサルのような事例から学ばないと、この先も哀れな未成熟のまま生きてしまうだろう。パワーゲームは、中学生レベルで仕掛けるべきなのかもしれない。
もういい年になってこのあたりの未成熟さが際立つとなると、それは「人生再設計第X世代」よろしく、見捨て去られむなしく朽ち果てていくだけの哀れな人生観を抱えたままに生きていくことになる。

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http://ronri2.web.fc2.com/game.html
パワーゲーム!議論で勝てないなら力で叩き潰せばいいじゃない!

権力のある人は最初は議論に付き合ってるように見えても、負けそうになるか、相手に話が通じないと判断すると盤面ひっくり返して社会的に殴ってきます。

私はこのサイトを見た若者が議論に強くなったつもりで権力の上回る相手に挑み、パワーゲームで社会的な実ダメージを負うことを心配しています。私は世の中の議論本や論理思考本がそのあたりの事実を書かずに認識をごまかしているのは無責任だと思います。

パワーゲームは善いか悪いかに関わらず、事実として起きる事なので想定する必要があります。

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坂本君が、本当に賢い(wise)のなら、当然、そういうディスカッションを、まず芦屋氏に仕掛けてみるだろう。

つまり、芦屋氏が、そういうディスカッションをする意思と能力があるのかを、チェックするはずだ。

それが、第一ステップ。

次に、芦屋氏に、その能力と意思があることを確認できたら、ディスカッションに持ち込むだろうし、それが無いことが分かったら、芦屋氏を「攻略」する方法を考えるはずだ。

つまり、これは、顧客の会社の人々だけでなく、芦屋氏も含む、トータルの意思決定メカニズムを操作するゲームなのだ、ということを割り切って、芦屋氏を含む全ての人の利害と感情の構造を調整し、だれもが納得するように、芦屋氏を巧妙に誘導し、顧客も誘導するだろう。

この際、芦屋氏が醜悪な人間であるとか、頭が悪いとか、そういうことは、問題にならない。

変に中途半端に賢かったり、善良だったりするより、強欲で適度におバカな上司の方が、操縦しやすいものだ。

つまり、この場合、芦屋氏など、単にチェスゲームをすすめる上での、コマに過ぎないのだ。

それが第二ステップ。

そして、顧客にしろ、芦屋氏にしろ、全体の構造を頭の中で組み立ててみて、

「あ、このゲームは、いくらやっても、きちんとした構造に組み立たないや。

無理にやろうとしても、疲弊するだけだな。」

と思ったら、さっさと、別のゲームに切り替えるべきである。

つまり、さっさとそのプロジェクトや部署から逃げ出す算段をするだろう。

もしくは、転職する算段をする。

それが、第三ステップ。

これが、現実的な対処というものだ。

しかし、このフィクションストーリーでは、坂本君は、そういうことのできる人間ではない。

つまり、単にintelligentなだけで、wiseではない。

このままでは、坂本君は、未熟なまま老いてしまうだろう。

なぜ、坂本君は、wiseになれないのかというと、

第一に、誰でも正しいことをするべきだ、ということを主張するだけで、物事を動かせると思っている。

第二に、上司や会社に甘えている。

とくに、この一点めが、intelligentな人たちの、根深い病なのだ。

「誰でも正しいことをすべきだ」ということと、「それを実際にどう実現していくか」ということは、全く別のことなのだ。

世の中で正しいことを実現していくには、世の中が正しいことを前提として行動してはいけないのである。

坂本君は、「芦屋氏が正しい意見に従うのが当然」という前提で動いているが、それは、無菌室でしかできない手術を、雑菌だらけの日常空間でやるようなものだ。

そんな安易な前提の元に行動するようでは、顧客も正しい意見に従うに違いない、という前提で行動してしまうときがやってくるだろう。

そもそも、世の中は、正しいか間違っているかの2分法では動いていない。常に、その中間で、様々な妥協をしながら、結果として、正しい方向にどれだけ近づけることができるか、そういうゲームなのである。

そして、2点目の、安易に上司を味方だと思っているのも、致命的だ。

上司は、自分より賢いとは限らず、正しいとも限らず、それにもかかわらず、自分は上司のオーソライズのない行動はとれない、という現実を直視するところからはじめないと、プロジェクトは上手く動かせない。

だから、坂本君のような人間は、そういう世の中の現実を、思い知らせるような、キッカケが必要なのだ。

その一つになりうるのが、この記事で芦屋氏が仕掛けた、根回しゲームだろう。

この根回しゲームにおいて、坂本君は、次長と部長のところに説明しに行ったとき、なんだかよく分からないまま、とにかく自分の提案が否定されるという経験を味わったわけだ。

これは、とても良い経験で、こういうとき、坂本君が味わうのは、「提案内容の正しさとかじゃなく、部長と次長は、とにかく芦屋氏の味方なんだな」ということである。

そして、味方の少ない自分は、パワーゲームで負けている、ということを実感する、ということだ。

結局、プロジェクトを実現するというのは、いかに自分の味方を増やし、賛同者を増やし、自分の構想を推し進めるか、ということであって、それは、本質的にパワーゲームだ。

論理的な正しさや、道徳的な正しさだけで、プロジェクトを推進できると思うのは、大きな勘違いなのだ。

坂本君に欠けているのは、まさに、その点であって、この社内政治ゲームにおいて、敗北を喫した坂本君が、十分にintelligentなら、同じことが、顧客組織の中でも起こっているといことを、想像できるようになるはずだ。

すなわち、顧客組織の中の政治ゲームの構造を理解した上で、提案書を書けるようになるはずだ。

顧客組織の意思決定メカニズムをどう操作すれば、自分の提案にYesという意思決定をさせることができるか、というゲームなのだと言うことを理解する。

そして、それが出来るようになれば、自社の政治ゲームで、自分のプロジェクトにいかに予算と人員を確保するか、というゲームもできるようになる。

転職の際も、どのような会社に転職すれば、大きな裁量権をもち、楽しく仕事のできるポジショニングになるか、計算して、転職の駆け引きができるようになるだろう。

もちろん、坂本君の器が小さければ、芦屋氏の仕掛けた政治ゲームは、逆効果になる。

坂本君は、「世の中は腐っている」と思いこみ、ひねくれた人間になってしまうかもしれない。

上司の言うとおりにしているだけのつまらない人間になってしまうかもしれない。

しかし、世の中が無菌室であることを期待するのは、控えめに言って、世間知らずだ。

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http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1962352765&owner_id=65933753&full=1


■正しいこと言ってるつもりなのに他人に責められる...「正論」ってなによ?
(Jタウンネット - 07月16日 17:20)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=241&from=diary&id=4096987

自分に「都合のいいこと」が得てして正論になっているような雑誌共々そうなっているような気がするんですけどね。世の中には、黙っておいたほうがいいことってのは、色々あるもんですよ。だいたい、真偽を印象論とかで決めていたような国民が、そんな「正論」で通ると思っているほうがバカを見るでしょう(Why Xenophobe http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1950631620&owner_id=40049699&full=1)?

こういう人には、境界値の話をしてもたぶん全部の数字でテストをしろとか言われかねないので、正論とかを日常のキーワードに使う人はあんまり相手にしません。

「それでも正論を言わず、正しくない他人を容認しているのは我慢がならないようだ」
って、へたをすると形を変えればISILの構成員と変わらない危険さがあると思われますけども。

「納得できないこととかは首突っ込んで睨まれたり罵倒されたりするけど、別に気にしない。本当にちゃんと正しければ周りがそうやって行ってくれるから」
というよりは、それが「自分に「都合のいいこと」」である限り、においては「周りがそうやって行ってくれる」だけの話です。

イギリスの国民投票の件にしても、最近読売の編集後記を読んでいたら頭が痛くなりました。「ちょっとの差なんだから」やり直しもいいんじゃないか、とそれとなくいっているんですが、もし「離脱反対派が」「ちょっとの差」で勝っていたら、同じ意趣の社説を登場人物名を置き換えて書きましたかねぇ。所詮、「デスクの意向に沿っているか否か」で、社説に出すべきかそんなものでもないかが決まったんじゃないんですか。

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「疑うことには、人の感情を逆撫でするリスクがあります。
エコロジーブームが始まったころ、私はエコに疑問を投げかけて、エコ信者から嫌われました。
ところがその後、一部の科学者たちが書いたエコ批判本の内容が、社会科学の見通しからするとあまりに稚拙で非現実的なヘリクツばかりなのに呆れはて、今度はエコ批判をする科学者を疑う
ようになりました。
エコを疑うのも大切だけど、エコを批判してる学者の主張も鵜呑みにせず、ホンマでっか? と疑うのが、本当の懐疑論なんですよ、と真実を説いたら、感謝されるどころか、今度はエコ批判信者から嫌われました。
結局我々人間は、他人のウソが暴かれると喜んで、自分のウソが暴かれると怒るんです。
真実の追求なんてタテマエにすぎません。
知能の高い低い、教養のあるなしに関係なく、人は自分の信じたいことだけを信じるいきものなんです。」(「部屋と開襟シャツとわたし」(パオロ・マッツァリーノ『誰も調べなかった日本文化史 土下座・先生・牛・全裸』(筑摩書房、2014.09)所収、pp.104-105)

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「100万円の使い道について議論して、弁当代で100万円使った」という比喩がありますが、こういう人だとそうなります。こういう人の特徴として、「選挙では49パーセントの敵を作ってもよいバッファーがある(51パーセントの味方がいればいい)」という発想が理解出来ません。

「論理の整合性」や「手続きの正しさ」が重く見られるのは、言うまでもなく、そのようなものに支えられて論を立てる方がそうでない場合よりも合意に達しやすいからに他なりません。

正論を述べ、手続きの正しさに固執することが合意形成を阻む場合は、合意形成の方を優先させるのは「合理的な発想」に基づきたい人間である場合ならば当然選択することです。

そもそも、異論が出されるという事実自体がすでに「100%正しい選択」がなされなかったことの証左でしかないじゃないですか。そのあとの仕事は「51%の正しさ」と「49%の正しさ」では2%だけ前者の方が正しい(それはもう「正しさ」とはいえないけれども)という計量的な吟味にリソースを注ぐことに「しか」なり得ないんです。

そのことの判定基準は「費用対効果」に他ならないので、交渉のコストが、それによって得られる効果を超える場合は、ネゴシエーションそのものを中途で放棄するオプションはしばしば採用されます。要するに、疲れるバカは相手にせずに第三者に「どっちがバカか」を当座で決めさせるのです。前段の比喩の状態にさせる人は、この手の説明の「バカ」になりますけれども。

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「正論は人によって変わる」実例がどことなくやはりNATOのユーゴ空爆とか、トロッコ問題(所詮は功利主義で説明するか義務論で説明するかの説明がきちんと出来ればどうということはない嫌がらせクイズです)しか思い当たらなかったので、そのあたりでしめておきます。

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「(・・・)そのときにアプライしてきた学生たち全員にある選考委員が同じ質問をした。
NATOのユーゴ空爆について知るところを述べよ、というのである。
(・・・)その回答を聞いて、件の選考委員は全員にこう諭した。
「アメリカではね。高校生でも、自国がかかわっている戦争については、賛成反対の意思を明確に表明し、きっちりディベートする。君たちが、国際情勢についてそんなふうないい加減な知識しか持っておらず、それについて賛否の立場を議することができないとむこうにいって恥をかくよ。」 彼はもちろん善意のひとであり、その説諭は教化的な意図のものであった。しかし、それにもかかわらず同じ言葉を十数回聞かされているうちに、私はだんだん不愉快になってきた。
他国で行われている戦争について、それがどういう国際関係論的文脈でなされているかについて十分な情報をもち、それについて賛否の立場を明らかにできるということはそんなに偉いことなのだろうか?そもそも、必要なことなのだろうか?
私はユーゴの戦争について新聞報道以上のことを知らないし、その記事だって決して熱心に読んでいるわけではない。
戦争の記事をみるたびに「あー、やだやだ。馬鹿と馬鹿が戦争してるぜ。けっ」と顔をしかめて、ぽいと新聞を放り出している。
泥棒にも三分の理。
ましてや戦争だ。
ミロシェビッチにだってNATOにだってコソボ解放軍にだってギリシャにだって、それぞれ言い分はあるだろう。
それぞれの言い分をきっちり聞こうとしたら、いくら時間があっても足りない。
それに「ここまで調べたら、賛否の判断をしてもよい」というような情報量の基準線など原理的に存在しない。
CNNのニュースを聞いて、ワシントン・ポストとタイムズとル・モンドと人民日報とイズベスチャ(まだあるのかしら)を定期購読しているひとなら正しく判断できるというものではあるまい。私の知っている国際関係論の専門家はインターネットでセルビア側とコソボ解放軍とアルバニアとギリシャの関連ホームページを読んでいるが、「どれも一方的な情報しか伝えていない」と嘆いていた。
こういう問題について「賛否の判断をするに十分な情報」というものはありえない。
十分な情報がないままに賛否の判断をするのはパセティックではあるけれど合理的ではない。
審美的にはかっこいいが論理的には危うい。
そもそもかの選考委員がたたえる「アメリカでは高校生だって…」ということ自体がきわめて重大な問題を含んでいると私は思う。
アメリカの高校生だってユーゴの戦争についての知識は私とどっこいのはずである。
それにもかかわらず、彼らはあるいは空爆に決然と賛成し、あるいは決然と反対するらしい。
なぜそういうことができるのか。
たぶんそれは「よく分からない」ことについても「よく分からない」と言ってはいけないと、彼らが教え込まれているからである。「よく分からない」と言うやつは知性に欠けているとみなしてよいと、教え込まれているからである。
反対側から言えば、ある種の知的努力さえすれば、どんな複雑な紛争についても、その理非曲直をきっぱりと判定できるような俯瞰的視点に達しうる、と彼らは信じている。だからこそどんな問題についてもつねに「きっぱりした」態度をとることが強く推奨されるのである。アメリカではそれは十分な「知的努力」を行ったことのしるしであり、そうすれば「賢く」みえるということをみんな知っているからである。
(・・・)具体的にいま戦われている戦争について、それを俯瞰するような上空飛行的視点がありうるのだろうか?
その戦争に対して、どう判断し、どうかかわるべきかを教えてくれるような知的なポジションというのはありうるのだろうか?
私はそんなものはないと思う。
「そんな超越的な視座は存在しない」というところから出発すれば、戦争の見方はずいぶん変わってくると思う。だが、知識人の多くはそういうふうには考えない。だからこそ彼らは戦争に対して非常に「まじめ」な態度をとる。 (・・・)」
(「古だぬきは戦争について語らない」(「Simple man simple dream -28」(1999.04.19))(http://www.tatsuru.com/columns/simple/28.html))

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養老孟司『真っ赤なウソ』p68
「キリスト教では、唯一絶対の神様は全知全能であると、こういいます。全知とはすべてを知っているということです。このことは非常に重要なことだと私は思っています。
科学に携わっていると、このことがよく分かります。
科学は客観性を追求する分野で、その客観性によって、この世に起こった出来事を知ることができるという前提に基づいているからです。
どうしてそれを徹底的に知ることができるかという、少なくともそこに神様がいてすべてを知っているからです。
ここが、非常に重要なところです。
(・・・)実際に起こったことは一つでも、人間がそれを知ることができるかどうかということがじつは大事なんです。それを端的に示したのが、日本文学でいえば芥川龍之介の『藪の中』です。
(・・・)ところが、科学の世界では自然科学の99パーセントまでが、事実というものは追求できるはずだという信念を持っているんです。そこにあるのは、「科学的」という表現ですが、本当に起こった事実は一つしかないということをいっています。
それをNHKは「公平・客観・中立」というんですね。
「公平・客観・中立」というのは、非常に科学的ですね。
しかし、これは本当は「人間の立場」じゃないということを私はいいたい。
これは、いわば「神の立場」です。
「公平・客観・中立」ってNHKの報道局長がいうときに、それはどこまで可能かという問題があるわけです。
それをいったのが、じつは『藪の中』なんです。
ところが、一神教の世界では、これは初めから議論にならないんです。
「神の立場」から見れば、すべてが見えているわけですから、本当のことが分かっているわけです。
NHKの報道が「公平・客観・中立」ということをモットーにしているということは、既にわれわれの考え方、社会の考え方が公式的には、キリスト教的一元論的な世界だということになってしまっている。
(・・・)「本当のことは、たった一つだったんじゃないの」と思っている人は多いですね。
科学をやっていれば必ずそう思います。
事実はこうであったと。
じゃあ、その事実はこうであったっていうことを、徹底的に突き詰めていくとどうなるんでしょうか。」


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