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2019年11月13日10:52

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2019年11月度活動記録

よるべなき秋(who sings solace?)

葉なき枝(え)を迷へるきみにさしだして頭(かうべ)慰むきみは知らずも
ゆく道は失はれたると言ふきみの眼路のはづれになほつづく道
露おつる音は幽けく耳底にきみがあやしえぬ涙のかはりと
霧の朝一歩に重ねてまた一歩崩るる霜のうた聴こえしや
禽啼きていよいよ冴ゆる夕映えの対角に月の誰を待ちたる
階(きざはし)の果ての扉の前ふたり交はしし想ひが閂ひらく



【添削】
第2首「云ふ」→「言ふ」
略字だと言われればそうかもしれないなぁと思うので已むを得ないのかもしれません。
第5首「とり」→「禽」
「鳥」という漢字を敢えて避けてひらがなにするくらいなら確かに「禽」のほうがかっこいい。個人的には「禽」って一文字だとおさまりが悪い感じがしてしまうのですが、じゃあ「とり」ならおさまりいいのか? と訊かれれば、そんなこともない。
第6首「交わせし」→「交わしし」
これは単純なミス。「交わす」はサ行四段活用で、その下につけた「し」=助動詞「き」の接続は連用形(注・カ変サ変は例外)。となれば「交わす」+「き」連体形はもちろん「交わし」(連用形)+「し」となりますね。何でミスったのか本人も呆れるケアレスミスでした。

【余談】
11月分6首@いつもの。です。今回も忘却の彼方に迷い込みそうになってました。危ういところで思い出しました。よかった。のかしら?
pixivにはまだ載っけてません。エンジンかかるまでめちゃ時間かかるタイプです。

さて、2首めが本人のお気に入りです。人生そういう場面ってけっこうあると思うのです。あきらめずに冷静に見回せば道は意外と見つかる。それとも、あきらめた瞬間に道がひらけて見えることもある。後者はある種「無欲の勝利」ですね。
1首めもあれよ、本人の気づいていないところで、助けや慰めは差し出されているのよ、って気がしまして、何だ今回の6首は応援歌から始まってるのか…(そういう目で見始めるとほかの歌もそれっぽく見えてきますね、思い込みってすごい!←
5首め。「とり啼きて」だと鶏が鳴く朝の歌のように誤解しかねませんな。そういう意味でも「禽」とされた先生の添削がさすがです。
6首め。昔、階段を上がりきったところにある、屋上へつづく扉の前で告白したひとがいまして、彼女のその想いは彼に通じ、見事実ったという実話があるのです。そんな感じ!
【余談終了】

※短歌は「万象」に掲載したものの再録です(一部修正あるかも)。
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