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2019年12月11日18:55

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薙刀

No.0542
一日一日を生きていると、時には難題にぶつかる事がありますが、
私のこれまでの人生の中でも何度かそういった経験はありました。
今回取り上げる話というのは、

“出来ないから実行する!!”

いきなり結論を書いていますが、意味はそのままです。
例えば、ある学者がアメリカまで仕事の為に出向く事になり、
現地へ着いたはいいけど、現地の人とコミュニケーションを取る際に、
その学者は、全然英語が堪能ではないのです。

と言うのも、その学者の経歴の中には、
帰国子女とか留学経験があるとか、大学時代に英語を専攻していたとか、
一切そんな事とは無縁なのです。
しかも、渡米経験も数えるほどしか無く、仕事先での会話はどうしているかと言うと、

出来ないなりに、自ら道端に居る人達に話しかけているのです。勿論、英語で。
その拙い英語で何とか意思疎通が出来ないか、
よく英語が苦手な現代人だと、スマホのアプリで翻訳機能を使うか、
道に迷ったらGoogleマップを使用すると思うのですが、
その学者は地元の観光マップのみを取り出すだけで、
後は自分の拙い英語で何とか乗り切ったのですから驚きです。

その学者の考えとしては、“出来る出来ない以前に、とにかく話しかけてみただけ”だそうで、
自然とある程度はこなして、自然と英語力が身に付いたというのです。
つまり、「英語が出来ないから話にいかない」では無く、
「英語が出来ないから話しかける」という事になります。

上記は非常に重要な事で、もう一つの例を挙げるとすれば、
カラオケで歌が下手な人が、同僚からカラオケに誘われても、
「僕、下手なんで遠慮します」
いやいや、別にプロ並みの歌唱を求めているわけではないし。
むしろ、「下手やからカラオケに行った方がええやん」と返答したくなります。

これが「カラオケ嫌いだから遠慮します」だったら、
「ああ、そうですか」で終わるけど、「下手だから遠慮します」は何か違うなぁ〜、って思います。
先程の英語の例と真逆の話になりましたが、
最初は誰でも初めてのものは初心者ですし、
経験済みの事でも下手なものもあるかと思います。

一部の天才を除き、多くの凡人は出来ない事の方が多いと思うのです。
中には“やらない選択”として封印してしまう人も居るかと思いますが、
これは赤の他人に出来ないと発覚した時、一瞬恥ずかしい気持ちになったり、
出来ない自分に情けない気持ちになったりするのも要因の一つですけど、
よく昔から言われているように、
“知らぬは一生の恥”とあるように、知らない、
やらない事の方が後で大恥をかく事だってあります。
だから、そんな小さい恥なんて一瞬だと思うのです。

結局、最後まで出来ない自分で終わってしまうと空しさしか残らないし、
何事も“絶対に出来る!!”という強い意志を持って取り組めば、
100%は難しいとしても、その半分ぐらいは達成出来てしまうのです。

まあ、私の場合は絶対にここまでやり切る、と決めたら最後まで突っ走るけど。

2019/12/11 MARL
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