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2020年10月26日10:33

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青春の坂道

中学の卒業アルバムを
久し振りに開いて見た。

懐かしい顔ぶれ
といいたいところだけど、
残念ながら、僕は
人の名を覚えるのが
ものすごくと苦手で、
自分のいるクラスメートの
名前も、一年かけて
やっと覚える
という始末(^^;
進級時には
クラス替えが
行われるので、
それで、元の木阿弥
という三年間だった。

それでも、僕にとっては
中学時代が一番楽しい
ひと時だったと思う。

僕には二人の
記憶に残る先生がいる。

一人は、クラスの担任
だった尼子先生。
もう一人は僕が
3年になった時、
美術の先生を
することになった
若見先生。
何が切っ掛けだったか
覚えていないが、
僕は尼子先生を
信頼していたようだったが、
それを裏切られる
事件が起きる。

ことの発端は
僕の方に問題が
あったのだけどね。

僕は当時、
将来は漫画家になる。
そう決めていた。

で、漫画を描く上で、
ぶっつけでケント紙に
絵を書き始める手法を
それまでしていた自分は、
書いている途中で、
分けが分からなくなる
というテイタラクを
毎回していた。

で、これは
先にプロットを
書いてから、
絵に取り掛かるほうが
いいのではないか
と思ったんだな。

で、よせばいいのに、
保険の大塚先生の
授業中にこっそり
先生の目を盗んだつもり
で書いていたら、
先生に見つかって
しまった。

プロットを書いていた
ノートは没収され、
担任の尼子先生の手に。

休憩時間中、
尼子先生に呼び出されて、
僕が漫画家を
目指していることを知り、
端的に言うなら
「夢を見るな」
というお叱りの言葉を
受けた。
「牛の尻尾になるな。
 鶏の頭になれ」
これがこの先生の
心情だったようだ。

とても悔しかったさ。
尊敬していた先生に、
夢をくじかれるとは。
職員室を出て
自分の教室に向かうまで、
涙をこらえるので
必死だった。

でもその日の放課後
だったか、
若見先生が
教室の僕のところまで来て、
「漫画家になりたい
 んだって? がんばれ。」
そう言ってくれた。
若見先生は、
元アニメーターで
ルパンや、ギャートルズなどを
手がけた東京ムービーで
仕事をしていた人だった。

うれしかったさ。

実現するかどうかは
わからないと、
そのときにでも
思ってはいたけど、
肯定してもらえたことが、
うれしかった。

まあ、結局、20代前半で
あきらめたんだけどね。

そのプロットノート事件
をきっかけに実は、
それまでの自分には
ありえなかった
新しい展開が生まれた。

同じクラスの女の子が
僕のそのプロットに
興味を示してくれたのだ。
興奮したねぇ。
発覚したプロットを
見たいを言われたのだけど、
未完成だし、自分流に
省略した文字とかもあって、
人に読ませられる物
じゃないと思ったんで、
明日、完成しているのを
持ってくると約束した。
実は完成したプロット
なんてなかった
んだけどね(^^;
家に帰ったら
速攻机に向かって、
新しいプロットを
明け方までかけて
書き上げたさw

で、手渡したら、
その子は大喜び。
先生に取り上げられたら
困るからと、
家に持ち帰って
読むことに…。

次の日、
すごく面白かったと
ノートを返して
くれたのだが、
なんと新しい別な
ノートが一緒に。
これに新しいの
書いて欲しい
といわれて、
どれくらいかかるか
言われたので、
もうね、有頂天さ。
二日で書くことを
約束して、
実際に二日目に
ノートを渡したら、
やっぱり喜んでくれて、
次の日、
一枚の紙をもらった。

住所が書いてある。
しかも遠く離れた
九州の。

彼女は九州に
引っ越すことになった。

言葉がなかった。
短い春だったなぁ。
的な。

彼女は事情を
説明してくれなかったが、
後でクラスの女の子が
していた話では、
お父さんが亡くなられて、
お母さんの
実家がある九州に
移ることになったらしい。

僕が彼女にプロットを
書いてあげていた
まさにそのとき、
彼女はお父さんを
失った後で、
九州に行くための
準備をしている
最中だったのだ。

僕は何にも知らずに、
ただ浮かれていた。
ただ、僕のノートを
うれしそうに
抱えている間、
読んでいる間だけでも、
辛いことを
忘れていられたのかなと、
そう思うしかなかった。
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