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2020年05月23日07:49

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Wikipedia vs 〇〇辞典+専門書

潮匡人氏の書いた
『誰も知らない憲法9条』には、
Wikipediaからの引用が
度々ある。
それに対し、倉山満氏は
『嘘だらけの日仏近現代史』で、
Wikipediaを
クソミソに批判している。
お二方とも、保守寄りであり、
どちらかと言えば
右向きの人だけど、
Wikipediaに対する評価は
真逆なようである。

そういえば、
僕の数少ない読書歴の中でw
引用元としてWikipediaを
提示している人は、
極僅かな気がする。
潮氏が特殊な部類なのか、
Wikipediaが
それだけ信用されてない
サイトなのか?
実際、SNSなどの
相互発信型のサイト上で、
Wikipediaから
引用を示したり、
そう思われる内容を
記述すると、
一定数、
「あんなものを
 引用するのは
 バカを証明している」
等の意見をされる方がいる。
Wikipediaに
限定はしてないが、
某野党政治家が、
ネットは信用できないとして、
トロツキーの書を
信用できる書として
例示していた。
(ご自分で書いた本だけどw)

昔、実家には
平凡社発刊の
「世界大百科事典」があった。
夫婦共働きで、
子供三人を学校に
行かせているあの当時に、
ボロアパート住まいの
我が家が、
八万円はする辞典を
購入するとか
無謀も甚だしいのだが、
新しい物好きで、
見栄っ張りの親父が
誰とも相談せず、
購入したモノと思われる。
真っ黒い荘重で
背の中央に赤い帯が有り、
そこに世界大百科事典と
印字されている版である。
1969年版の編集長は林達夫。

勉強嫌いだったくせに、
何故かこの百科事典は好きで、
よく目を通していた。
何しろまだ小学生だったので、
多分、八割方
意味も分からずにw


ところがある日、
TVを見ていると、
辞典に書いてあったことと
異なる内容が放送されていた。
狼狽したさ。
「どっちがほんとなの?」
誰かに聞きたいけど、
誰にも聞けない。
じいちゃんも、親父も
ほとんど学校に
ちゃんと行ってないので、
文字は読めても、
物知りなわけじゃない。
親父に至っては
「俺が辞典」な人なので、
聞くだけ無駄。
当時の僕の小学校の担任は、
生徒をいびることに熱心な
人(ただし男子生徒に限る)
だったので、当然聞けない。
科学系の
ドキュメンタリー番組も
大好きなので、
よく見るのだが、
度々、TVと百科事典に
齟齬の有ることが
分かってきて、
きっと、辞典を書いた
当時に分かっていたことと、
今新たに分かってきたこと
に違いが有るのだ
と思うようになって、
だんだん百科辞典を
読まなくなった。
TVの方が分かりやすいし、
画像が有るので、
安易に納得しやすい
というのはあったと思う。

以後、国語辞典などの
辞典によって
単語の説明が変わる
という不可解に遭遇し、
辞典なるものは
100%の信用を置いちゃ
いけないモノという
観念が出来上がった
わけですわ。

社会人になって、
何時頃からか、
『現代用語の基礎知識』
など、いわゆる旬もの辞典が
登場すると、
各出版社がこぞって
色々似たような辞典を
出版するようになって、
一時期、書店の風物詩に
なっていたわけだけど、
出始め当初こそ、
欲しいと思ったし、
実際買ったこともあるし、
事務所に一冊あって
当たり前な時代もあったけど、
ある日、書店で
パラパラっとめくっていたら、
やたら左傾に
振れた内容なので、
どういう事かな? と思って、
編集に係わった人々の
名前を見たら、
そりゃもうビックリw
普段テレビで、
左傾な発言をされる方の
名前が列挙されている。
ああ、こりゃ、
この本に正確さを
求めるのは無理だわ。
と思って、それ以来、
ピクリとも欲しいと
思わなくなった。

そう思ったころには、
ネットで右傾から左傾まで、
あらゆる人の意見が
読めるようになっていた
というのも有るけど、
中道で冷静に本を
書ける人って本当に
極僅かなんだなぁとも
思ったしだい。

そんな中、
颯爽と登場したのが、
Wikipediaであった。
誰でもが書き込めて、
誰でもが情報の
追加、訂正のできる、
画期的な
ディクショナリーの
登場であるw
「専門の研究機関や
 研究員でもない、
 学者でもない人間が、
 好き勝手に知ったか
 ブリブリで書き込める
 Wikipediaに、
 信用なんて置けるわけ
 ないだろう!」
というのが、
Wikipedia批判者の
大方の意見だと思われる。

では、専門の研究機関や
研究員や学者が
書いた本なら
信用できるのか?
高名な物理学者である
アインシュタインでさへ、
判断を間違え、
新しい学説を否定して、
後日、自分の間違いを
認めている。
アインシュタインが
否定した資料だけしか
読んでない人は、
それが真実だと思うだろうが、
実はそれは真実では
ないということが、
言われた情報に
触れることが出来なければ、
その人は間違った情報のみで、
自分の論を確立していく
ことになる。

もっと古くは、
聖書にある創造論だ。
創造論絶対主義の人は、
進化論を完全な間違いだ
と主張し、今でも一生懸命、
進化論が間違いである論拠を
ひねり出している。
進化論を否定する人の
言として、
「地層はノアの大洪水の際、
 40日40夜で形成された。」
という方がいる。その人に、
「では、
 グランドキャニオンは、
 聖書でいう、
 ノアの洪水以降に
 形成されたのか?
 僅か数千年で?」
と問うてみた。
彼の答えは
「神にはできないことはない」
というものだった。
上記例えは極論で
悪い例かもしれないが、
学者などというのもは、
五十歩百歩で、
自分が欲しい結論ありきで、
そこに向かわない現象は
無視する傾向にある。
最初に進化論を提唱した
ダーウィンもその傾向があって、
自分の論に
当てはまらない現象を見て、
愕然としたとされている。
マルクスの共産主義が、
人類という動物の特性上、
実現不可能な無理な主義で
あるのにもかかわらず、
実際、本当の意味で
共産主義が実行されている
国はないという事実を、
それでも認めようとしない
学者の書いた本が、
正しい信用に値する本だ
といえるだろうか?
原爆投下後百年
草も生えないと言った
学者の書いた本が、
参考になる書物だと
言えるだろうか?
毎年、株価の暴落を予想し、
だが実際には大はずし
だった経済学者の書く本が、
正しい信用に値する本だ
といえるだろうか?
字面のみに固守し、
現状把握も無しで、
国民投票によって
改憲出来る項目が
有る憲法を、
改憲する事は
「違憲だ!」
とする矛盾を言う
憲法学者のどこに
真実が有ると?
与党が圧倒的多数で
憲法改正発議をしても、
国民投票で否決されたら、
改憲はできないと、
知っていながら、
いかにも
与党が勝手に憲法を
変えることが出来る
かのように訴える
知識人たちの誰を
信じろと?

印刷された辞典が、
無用の長物であるとは
いわない。
発行されたその時には
有用な資料として、
また歴史的に過去、
こういう考え方を
されていた経緯がある。
という意味で、
重要な参考資料と
なると思う。

そして、ネットでは
某知恵袋など、
誤った知恵が
開陳されている例は有るので、
ネット媒体こそ万能だ
というつもりもない。

その意味で、Wikipediaは、
時代や事実の変更、
新しい考え方の登場によって
改変・加筆できる
というメリットは
大きいと思う。
下手くそすぎる説明や、
上下で、真逆の説明が
併記されているなんて
事案もあるし、
事実無根の内容もあるけど、
それって、間違っていても
改変不能の印刷物に比べれば、
誤差の範囲じゃね?
と思われる。
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