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2019年12月12日07:46

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「ノア約束の船」映画感想

一言で言うなら、大胆アレンジ。

ってか、聖書のノアの話を下敷きにした、別のお話。

確か、「天地創造」って映画の時には、ノアの箱舟を、
ノアの家族以外の人間は、嘲笑し馬鹿にしたという表現だったが、
約束の船では、奪還しようって画策することにしたのね。

実際の聖書には、民たちがノアに対して、
何がしか、したという記述はないんだけどねw

しかも、聖書では、ノアの三人の息子には、
一人づつに、洪水の前から妻が居たことになっているのに、
約束の船では、セムにだけ奥さんがいるということにしている。

映画では天使が出てくるが、聖書では神の子等とある。
この神の子等を天使と見るかもっと別なものと見るかは、
微妙である。
実は天使という言葉、新改訳聖書では、詩篇の138章1篇に
たった一度しか出てこない。
神からの何らかの託宣は、「主の使い」あるいは「神の使い」と
呼ばれている。イエスを生んだマリアやその夫ヨセフに現れたのは、
「主の使い」の方である。

だから、神の子が何者なのかは、定かではないが答えになる。
ただ、「神の子」は実はイスラエル人にも向けられて言われ、
次に新約聖書の中で、イエス・キリストが「神の子」だとされている。
いよいよ旧約の神の子が何者なのかさっぱり分からなくなる(^^;

映画とは関係ないが、聖書ではネフィリムという存在が出てくる。
このネフィリムは、神の子等と人間の女の間に出来た
子供たちだとする意見が結構一般的に言われているが、
聖書を良く見ると、
「彼らに子どもができたころ、またその後にも、ネフィリムが地上にいた。」
となっている。この表記から、ネフィリムが、
神の子と人間の女の間でできたと見るのはちょっと苦しくないか?
と思ってしまう。
ネフィリムが巨人という話も、創世記では語られてはおらず、
なぜか、民数記、ヨベル書、第一エノク書に登場するのだが、
おかしな話である。
ネフィリム等は、ノアの洪水時に死滅しているはずだからだ。

それはとにかく、映画では天使が登場する。
民衆と一緒になって悪さをする天使がいたり、
ノアの味方に成って、ノアの箱舟を作ったり、
奪おうとする民衆と戦うという話になっているが、

どれも聖書にはそんな記述は無い。

それよりも何よりも、人類は自分たちも含めて、
全員が滅びるべきだとするノアの思考回路は、
聖書が示そうとしている思想から逸脱しすぎている。

仮にも原作の有る作品を作るなら、
その原作が目指そうとしている思想くらいは
組むべきであると思う。
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