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2019年07月18日23:58

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思い出話

先の日記に昔のことを書いたら色々と思い出したので、なんとなく高校時代の思い出を書いてみよう。

高校の思い出は『文化祭関係』と『部活関係』しかないと言っても過言ではない。
学校に何をしに行っていたのかと問われたら、返す言葉がないほどだ(・・;)

文化祭関係は、文化祭当日よりも準備期間の思い出が多い。

うちの高校の文化祭は7月の第1木曜〜日曜だった。

入学式当日から、昇降口には『文化祭まであと○日』とカウントダウンされていた。
準備期間は3ヶ月。

文化祭にはとても力を入れており、4月の早い段階で『文化祭の説明会』が開催された。

うちの学校は、木材と紙で作った『龍』が目玉。

龍はいくつかのパートに区切られており、文化祭当日に初めて組み合わせる。
一番高いところで10mになる巨大な張りぼてだった。
それを放課後や早朝を利用して作る。

人海戦術であるため、指揮を取るのは3年生だか、下級生の力も借りたい。
そのために行われるのが『文化祭の説明会』でした。

先に書いたように龍にはパートがあって、龍長の下に各パート長がいて、その指揮の下で龍を作っていきます。
パートはクラス毎に割り当てられており、説明会では自分達のパート長が『みんな手伝いに来てね』と言って終了した。

その日から自分は準備に顔を出すようになった。

…が、1年生で龍を作っている人間は極少数だった。
自分の学年は400人近くいたのだが、龍作りに参加していたのは数人だった。

2年生もほとんどいない。
全校生徒で作るというのはほとんど建前で、実質は3年生だけで作っていた。

学年の違いとかを気にしない自分は毎日のように手伝いに行き、先輩とも仲が良くなった。

龍は最初に丸太と角材を使って骨組みを作る。
中学の時に木工部という部活に所属していたため、金槌やノコギリの扱いには慣れていたため、重宝された。

骨組みが終わると、そこに細く切ったベニヤ板を巻き付けていく。
龍の輪郭がそれで決まる。

そこまで終わったら、細く切った新聞紙をベニヤ板とベニヤ板の間に貼り付けていく。
端から順々に貼っていき、乾いたら再度貼る。
その繰返し。
最終的に数十枚重ねる。

最後の仕上げとして、龍の腹に白い紙を、龍の背に厚紙で作った鱗を貼り付ける。
七夕の短冊みたいに、鱗にメッセージを書く人もいっぱいいましたね。

そんなこんなで文化祭当日。
先に木曜〜日曜と書いたけど、木曜の午前中は龍の組み立てで終わる。

当番でパーツ毎の龍を順番に運び、建立する。
とても重いので、100人以上の男子がそれを運び、女子はずっと讃歌を歌う。

全てのパーツが運び込み終わったら、大急ぎで継ぎ目に新聞と鱗を貼り付ける。
それで完成。

木曜の午後はクラス毎の寸劇の発表(前半)をして、夜には『前夜祭』と称したキャンプファイアが行われる。

発表が終わった寸劇のバックボードとか燃やしていた記憶がある。

金曜は午前中に体育祭、午後は文化講演。

土日は一般公開で、土曜の午後は寸劇の発表(後半)、日曜の午後は『後夜祭』と称したキャンプファイア。

後夜祭のキャンプファイアの燃料は…龍(と、その他諸々)。

4日間祭りを見守ってきた龍を引き倒し、チェーンソーで寸断し、グラウンドの真ん中に運んで、火矢を構えた弓道部が矢を撃ち込んで後夜祭が始まります。
龍を引き倒す時に、何人かが涙を流します。


1年生の時は、ただ先輩に言われたことをこなすだけだった。
やることが全て新鮮で、楽しかった。
前夜祭は、なんとなく何をして良いのか分からず、踊るみんなを遠くで眺めていた。
後夜祭は…というか、龍が倒されて壊れた瞬間から、何かが弾けた。
狂ったように叫び、踊った。
文化祭が終わってから、2〜3日声が出なかったことを覚えている。

2年生の時は、不思議な感じだった。
1年生の時に1回フルに作った経験があったため、ほぼ初めて作る感じの先輩の動きがたどたどしい思えた。
2年生になっても、クラスメートはほとんど龍を作りに来なかった。
『来年は自分達の番だから』と復習と、来年のための予習だと思って仕事をしていた。
前夜祭も後夜祭も半狂乱で楽しんだ。

3年生の時は、色々よく分からなかった。

1年生・2年生と2回フルに龍製作に関わった人間は、自分ともう1人しかいなかった。
だから自分は、高い確率で自分が龍長になると思っていた。
しかし龍長になったのは『お前龍作っている時にいたっけ?』って感じの人物。
そして、自分はパート長にも指名されませんでした。
パート長になったのは、1回も龍製作に顔を出していなかったクラスメート。
どうやら自分が山岳部の部長であったため、龍の役職から外されたらしい。

いざ龍作りが始まると、何て言うか見てられない。
2回作った経験がある自分と、今年初めて作りますっていう上層部。
どうにももどかしくてならんです┐('〜`;)┌

しかも3年生になったことで、龍以外の文化祭の仕事も忙しくなります。
自分は直接関係なかったのですが、小中学校からの友人が寸劇の長になり、バックボードをはめる回転ドアの製作をしないといけなくなりました。
人数は少なく、手詰まりになった友人が頼ったのが自分でした。
中学で木工部だったことを知ってるからね(・・;)

日々繰り返される昼休みの争奪戦。
『今日はうちに来い!』と、寸劇長とパート長が自分の意思を無視して奪い合いをします。
どっちの作業も嫌いじゃないけど、強制されるのは嫌いなんだよね。
嫌気が差して、掛け持ちしていた文化部の手伝いしてたら寸劇長が迎えに来た時は本当にビビった。

龍の作業は、何て言うかもう『子供の成長を見守る親』のような気分。
不器用でも効率が悪くても良いから、初めて作る龍を楽しんでくれって感じ。
ただ1回だけ人が大量に手伝いに来てくれて、やることが足りなくなった日があって、その時だけ本気出しました。
龍に新聞紙を貼り付ける作業中、作業場所を拡張して新聞紙に糊を貼り付ける作業をして、手伝いに来た人にガンガン渡して貼り付ける人まで運ばせました。
『他の人の3倍早くて、糊が薄くてムラがない』と大好評でした(^o^)v

そして文化祭当日。

前夜祭は弾けていました。
特別な話としては『女に興味がない』と言っていた山岳部の親友が『オクラホマミキサーの躍り方を教えてくれ』って言ってきたこと。
体育館脇で、男2人でオクラホマミキサーの練習しましたね。
親友の恋が実ることを祈って(⌒‐⌒)

そして後夜祭。
自分の気持ちは『これで終わりなのか』という喪失感が大きかったです。
踊る気にもならなかった。
そんな心情を知らないクラスメートが、1人盛り上がらない自分を見て殴りかかってきました。
『かかってこいボンゴ!』とか言ってたけど、無視してました。
『多分1・2年の時に何もやってこなかったから、初めて高揚感を感じているんだろうな』『1年生の時の自分もこんな感じだったんだろうな』なんて思っていました。

ちなみにオクラホマミキサーの練習をした親友は『フラれてしまったよ』と言ってきて、自分は『そうか…』と答えました。
相手は誰なんだろうとか気になったけど、聞くのも野暮かなとか思ってました。


それが文化祭の思い出。


部活は山岳部とJRC部。

入学式の日に、何故か自分はどこの部活からも勧誘されなくて、唯一声をかけてきたのが山岳部でした。
それも先輩曰く『もらったチラシを処分したかっただけ』だったそうな。
人生は何が原因で動くかわからないですね┐('〜`;)┌

山岳部の同期は5人。
しかし1人が1ヶ月で学校を辞め、夏休み前にもう1人が部活を辞め、さらに秋にもう1人が部活を辞め…残ったのは2人だけでした。

当時の活動は日々の筋トレ(5km走るだけ)と、年4回の登山合宿。
筋トレは30分程度で終わるため、部活の後で龍を作りに行ってました。

1年のゴールデンウィークの登山には参加出来なかったのですが、6月の県大会に初めての登山合宿に参加しました。

そこで遭難したんだよね┐('〜`;)┌

大会であったため、正規チームとオブザーバーチームに別れて登ることになったわけです。
オブザーバーチームには1年生しかいない状態。

正規チームが先にスタートし、中学時代文化部だった自分はかなり無理をして登山していました。
しかし途中で、正規チームと合流してしまいました。
逆走してくる先輩に話を聞くと、他の先輩が倒れたのだとか。
部長から『山頂で待機していろ』と言われたのに、退屈で1人で倒れた先輩の様子を見に行こうとして道を間違えて遭難( ̄▽ ̄;)

とんだデビュー戦である。

夏休みの登山は、先輩と元運動部の2人と一緒に参加。
しかし体力不足で、帰り道で斜面から転げ落ちそうになること2回。
頭が真っ白でよく覚えていないけど、引率の先生がザックを掴んで滑落を防いでくれたことは覚えています。

秋の大会は、先輩が『俺たちは修学旅行の次の日だから行かない』と言い出し、同期の1人が『授業を休んでまで参加したくない』と言ったため、2人と引率の先生で参加。
これは大会というより交流会という色合いが強く、初日は自由行動。
その時に先生が『野生のキノコを採りに行こう』と言い出し、野生のなめこを大量に入手。
ふもとから味噌を仕入れ、味噌汁を作ることになりました。
夕飯の献立は予算の都合で『肉なしカレーライス』だったのに、先生が他校の部員が多いところから大量の肉を分けてもらったので『肉大盛りカレーライス&鍋いっぱいのなめこの味噌汁』に変更。
『山ではお残し厳禁』なので『飯は吐くまで食え』というのがルール。
鍋いっぱいの味噌汁が完全に余計だったけど、なんとか食べようと奮闘している横で、早々に『もう食えないっすよー(笑)』とか言ってた幼馴染みがカプチーノを飲み始めて殺意がわきました。

そんな幼馴染みが部活を辞め、同期が2人だけになった冬。
親友だと思っている最後の1人から電話がありました。
『阪神淡路大震災の被災地に行ってみようぜ!』だとか。
こいつはやたらと行動力があるんですよね┐('〜`;)┌

春休みに、山岳部の備品のテントや火器を借りて兵庫へ。
数日間被災者の苦情を解決する仕事をしました。
夕飯を作りながらラジオを聞いていたら、地下鉄サリン事件のことを言っていて『帰りの電車は大丈夫だろうか?』なんて話していたことを覚えています。

2年生になり、なんと後輩が8人も入部してきました。
しかも女子が4人。
1人は凄く可愛いと有名でした。

春の登山合宿。
大雨と雷に見舞われる悲惨な登山でした。

そして大会。
山岳部の大会は男女別で、1チーム4人(+補欠1人可)だったため、経験の浅い女子の後輩だけで1チーム作ることに。
しかも女子のチームのエントリーが少ないため、そのまま上の大会にも出ることに┐('〜`;)┌

大会が終わり、先輩が引退したことで自分達が部長をやる羽目に。
投票の結果自分が部長になりました( ̄▽ ̄;)

夏休みの登山は、難易度が高い山。
が、これといって特別なことはなかった。
強いて言うなら、山頂で万歳三唱をする習わしがあるのだが、山頂に沢山一般客がいて万歳三唱を躊躇っていたが、親友に押しきられて全力で万歳三唱をしてきたことくらい。

秋の大会は修学旅行の後だからパス。
賞味期限のことを考えず、修学旅行初日に買ったお土産のカステラを、部室に置いておいたら食べるかなと思ったけど食べなくて、賞味期限が切れてから食べた記憶があります。

3年生になり、新入部員は2年生が5人(全員男)と1年生が5人(男3人・女2人)。
自分達の同期は2人だけなのに、後輩が18人もいるという不思議( ̄▽ ̄;)

春の登山合宿は特筆することもなく終了。
下山後に1年生の後輩女子と話していると『山の上で下着も着替えないのは汚いしダメですよ!』と怒られる(・・;)
そして女子はそういうものなのかと思い、2年生の後輩女子に『山で下着を着替えているか?』と聞いてみたりした。
…今なら完全にセクハラ案件である┐('〜`;)┌

そして大会。
恐らくは最後の登山。
とはいえ、楽しく登れば良いと思っていたので、特に気張りとかはなし。
ただし、ここで1つの事件が起こります。
夕飯用の鶏肉からアンモニア臭がします( ̄▽ ̄;)
親友が後輩に『塩と胡椒を3杯ずつかけろ』と言ったのに『それはかけすぎだと思ったから、味塩胡椒を1杯かけました』とか。
お残し厳禁の法則で鶏肉を食べようとするも、後輩がこぞって拒否。
仕方ないので鍋を分けて、親友と2人でアンモニア臭がする鶏肉を食べました。

そして引退。

が『どうせ2年生は秋の大会は不参加だから、一緒に参加しようぜ!』と親友が言い始めて最後の登山に行きました。
震災の復興に行った時に、お土産で買って記念にさていた木製のスプーンがあったのですが、最後の登山で親友が『お焦げを取りたいから、そのスプーンを貸してくれ』と言い出し『絶対に壊すなよ』と念押ししたのに壊しやがったのは忘れられない思い出(´Д`)


学生時代が懐かしいわぁ。
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