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2017年08月20日22:10

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敵対視政策

『あれが嫌いだ』『これが苦手だ』という人がいます。
人間だから仕方ない部分でもあります。

ただ、そういうことを言う人に聞いてみたいのは『真の絶望とは何ぞや?』ということです。

高校生の時に色々考えました。
絶望とは何ぞや?

お金がないこと、友人がいないこと、食べ物がないこと…。

最初にイメージしたのはその辺り。
でも、深く考えた時に『そんなものは真の絶望ではないな』と思いました。

友人がいないなら作れば良い。
金がなくても金を作って倹約した生活をすれば良い。
食べ物がなければ作れば良い。

戦後のご先祖様は、きっとそうやって生きてきたのだと思いました。
そう考えれば、先に挙げたことは絶望ではないなと思います。

では真の絶望とは何ぞや?

孤独、苦痛…。

次にイメージしたのはその辺り。
でも、よくよく考えればそれも違うかなと思いました。

孤独…例えば無人島に1人で流れ着いたら、必死に生き延びようとする。
苦痛…苦しくても克服して生きようとする。

そうなると孤独や苦痛は絶望ではないように思えてきます。

では真の絶望とは何ぞや?

自分の出した結論は『生きていることだけは分かるが、五感で何も感じず、指の1本も動かせない状態』でした。

うん。決してバイトが始まる直前にズボンが破れるなんてことではありません。

五感で何も感じないのであれば、苦痛がある方がまだ生きている実感が持てて幸せなような気がします。


話は変わりますが、敵対視政策というものがございます。
『共通の敵を作ることで、内側の団結を強くする』やり方ですね。
第二次世界大戦の時は、アメリカは日本を『真珠湾を不意打ちしたした卑怯者・侵略者』と蔑み、日本はアメリカを『鬼畜米英』と蔑んでいました。

その結果、戦勝国が主導する戦後の軍事裁判では敗戦国が一方的に悪者にされます。
喧嘩両成敗なんて言ったら、信じて戦争に協力した国民から処刑されかねませからね。

そのことが次の戦争の火種になったりするんですけどね。


まあ何が言いたいかと言うと、まずは『自分なりの絶望』とは何ぞや?ということを考えてみてはどうかということ。
そうすると『絶望の状態に比べれば、自分はこんなにも幸福なのだ』ということを知れるということ。
生きていく上で、多くの不満や嫌いなこと苦手なことがあるだろうけど『真の絶望を避ける(敵視する)ことで、小さな不満は克服出来る(克服しようとする)ことが出来るようになる』という考え方、かな。

怒られるかもしれないけど、不安や不満を抱えても生きている人は、本当は凄く幸せなんだと思います。

そのことに気が付かないことこそが不幸なのかもしれませんね。
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