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2019年12月14日08:40

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なぜ田村なのか?

「会津藩らとともに西郷隆盛の政府軍と戦ったけれど、その西郷が庄内地方で愛されている」と山形県酒田市で聞いた。処分が寛大だったこととも関係ありそうだが、この逸話を耳にして坂上田村麻呂の話に似ているなあと。田村麻呂は東征した父親が阿武隈川の辺で女を見初め、現在の郡山市で誕生した。しかし、のちに征夷大将軍として戻り、奥州を征討した歴史上の人物である。

私の大学時代の恩師はアテルイの歴史にも詳しかったので、田村麻呂を鬼と見なす「悪路王」という詩集まで出版した。しかし、ここ福島県田村地方では対照的にほぼ英雄扱いで、後世に自治体の名称にも採用。領地の中でさまざまな恩恵があっただろうから、田村の名が定着した理由もわからぬではないが、征伐された側がどうして愛さなければならないのか、そこに私は東北人特有の人の良さを感じてしまう。

都路も田村の伝説はいっぱい残っており、「大岩に部下が50人登ることができたから五十人山」だとか、「小川で馬を洗わせたから馬洗戸という部落」だとか、挙げればきりがない。まあ、こういう伝説はほとんど作り話と考えた方がよさそうだが、「都路村史」を編纂した吉太郎先生は「蝦夷征討による功田を受けた地が田村郡内であったと考えられないだろうか」と記している。最近、田村、田村と騒ぐ人も増えているが、ちょっとは歴史を振り返った方がいいんでないの、とは余計なお世話だろうか。

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