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2019年11月12日10:38

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アスファルトと初期移民

日本でも新潟で石油が産出することは多くの人が知っていると思うが、最近の「ブラタモリ」によると範囲はもっと広い。秋田の豊川油田にその痕跡が残っており、「アスファルトや黒曜石がある」という。日本海側の地域の多くが海に沈んでいたことはフォッサマグナの原因となった海底火山の存在から明らかだが、それよりも「ブラタモリ」の話を聞いてたまげてしまった。実は、亡くなった隣家の吉田吉太郎先生が編纂した「都路村史」に、こんな記述があることを思い出したのだ。

「縄文時代には交易により、遠い地域と盛んに交流していたことが明らかになってきた。この交流の対象としたものには、黒曜石、アスファルトなどがある。黒曜石は火山岩で、この辺からいちばん近い産地は、栃木県那須山、山形県の月山付近であり、村内で発見される黒曜石はこれらの産地から運び込まれたものと想像される。また、アスファルトは秋田、新潟の産油地に限定されるから、ここから搬入して石器に使用したものと考えられる。これらの物資移動に際して、人的移動があったであろうと考えることもできる」

私はその村史に「初期移民」とメモ書きしてあったのだが、吉太郎先生がそこまで調べていたのかあと改めて感動。たぶんこんな話は、タモリだって知らないだろう。秋田や新潟は福島からそんなに遠いわけではないが、こうした鉱物資源を運ぶとすれば、多くの人的交流があったと考えるのが自然だろう。縄文人の行動範囲が広かったのは常識ではあるが、それにしても私たちの想像をはるかに超えている。古の歴史にちょっと興奮した。

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