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2020年06月02日12:21

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秀吉が知らなかった訳がない。

本能寺の変は確かに光秀による突発的な謀反だろう。

しかしながら、光秀位の有能な将が怒りに任せて謀反を起こすとは思えない。
突発的と書いたが、恐らくは信長の護衛部隊役が決まった辺りからチャンスを狙っていたとするのが自然だろう。

更に言うと、チャンスはチャンスだが、ただ討ち取って終わりではない。
討ち取れば必ずその混乱に乗じて、諸侯が動くのは必然。
その手立ても無いまま行動に移すとは、光秀の戦術上あり得ないと思われる。

光秀は信長の家臣団の中でも最も信長に評価されていた人物で、殴っただの蹴られただの言われているが、そんなにヘマばかりした武将を、自分の護衛役にさせるほど信長は愚かではない。

さて、秀吉の陰謀説だが、俺は秀吉が何等かの関わりを持っていたと確信している。
直接手を出さないにしても、情報を最も重視し、更には黒田官兵衛等の直属の優秀な参謀が付いている秀吉が、光秀の謀反心を知らぬ訳がないと考える。

一番の疑問が「大返し」。
光秀が本能寺の変を起こして大騒ぎになり、それが秀吉に伝わり、今の今まで城攻めしてた毛利軍に使者を送り同盟結び大急ぎで戻る。
今のように道路が整備されてるわけでもなく、車でもない。
更に一番早い移動手段の馬もサラブレッドではなく、道産子やポニークラスの馬だ。
そんなに速いとは思えない。
これ等を1週間ほどでやってのけるのは難しいだろう。

しかも、戦場となった山崎に先に付いた光秀が山に陣を敷かなかったことも疑問だ。
陣は通常山の上に築くのが常識。
それなのに光秀は山に囲まれた窪地に陣を築いた。
光秀ほどの将がこんな凡ミスはあり得ない。
光秀と秀吉は何等かの約束事があったと考えるのが普通だろう。

秀吉がどの時点で光秀の思惑を知ったのか分からんが、早い段階で動きを察知していたのは考えるに容易い。

俺が最も気になるのは、信長家臣で信長を慕ってたのは居なかったのではないか、という事。
信長はあだ名を付けるのが好きなようで、光秀も秀吉もあだ名で呼ばれてた。
光秀は「禿(ハゲ)」や秀吉の「猿」など。
特に秀吉は後に「猿」と呼ばれるのを最大の侮辱と思っていた節がある。

光秀も嫌だったのだろうが、この点で言えば秀吉も信長にいい感情を抱いていたとは思えない。

無論、俺は古文書も読めないし、一般に知りうる限りだが、信長の家臣は相当ピリピリして信長と会っていたのは確かだろう。
家康のように距離を取って付き合えば、それほど気にならないかもしれないが、家臣団は常に気が置けなかった気がする。


「本能寺の変」原因説の総選挙
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=6104135
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