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2020年06月09日10:43

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私腹を肥やす為に手段を選ばない?

 人間とは本来の性質からすれば、自己中心であり、自由気ままな存在である。
では我が身が自由な故に私腹を肥やすことに注力し、周囲の反応を気にもかけずその為に手段を選ばないそんな存在であり続けたら?世界はどうなるであろうか?それは言わずもがな争いが絶えず、とても住み心地の良い世の中とはならないであろう。ではそんな自分勝手な生き方に対し、ピリオドを打ち積極的に自由を放棄すると世界はどうなるであろうか?これまた言わずもがな世に平和をもたらすのだ!
 では具体的に手段を選ばず私腹を肥やす事に注力している人間とはどのような人間であろうか?例示を以て解説しよう。
 たとえば、自身が何某かの欲を満たしが為に自身が隣人から奪い取ってでもその順番を抜かし、そして自身の番と言わんばかりにそこに居座り、他者にはびた一文たりとも譲らない!そんな精神で生きていたらそのような人間は人を魅了したり、はたまた感動させたりという事ができるであろうか?それは「否!」である!ではどのような人間であれば人を魅了し感動を呼ぶのであろうか?それは、自身自ら犠牲を払い、自身が損をしてでも隣人に「どうぞ」と明け渡し、実に周囲に対して寛容の限りを尽くす、そんな人間であれば、自然と人を惹きつけ魅了するのではないだろうか?
 では具体的にはどうすればそのような人間たりえるのか?これも例示を以て解説しよう。
 たとえば、自身が損をするような場面。順番であれば敢えて、抜かされる方を選択し、一見愚かではあるが積極的に自身の権利を放棄し、隣人に譲る。そんな生き方ができる人間。これこそが!隣人を惹きつけ魅了するのではないだろうか?
 然り!人間から争いや闘いを取り除きたければ、自ら積極的に自身の権利を放棄し、損をしてでも隣人に順番を明け渡す。そのような存在たり得ることが肝要ではないだろうか?
 とかくこのような時代背景にあり、ましてやマスク争奪戦など奪い合いの激しき世ではあるが、そこに灯となるごとく、隣人に積極的に譲り、謙遜の限りを尽くし、「どうぞ」が出来る人間たり得る事。それがこの時代にあって正に!必要なことではないだろうか?
 然り!この隣人に究極の犠牲を払い、譲っていく精神を持つ事。これこそが!正に!今を生きるのに必須とされる事象なのだ!
 如何なものであろうか?これまで自分本位で他人から奪ってでも自身の順番を死守し!隣人に譲ってこなかった。自身はそんな存在ではなかっただろうか?
 であるならば!今!勇気を持ってその自由を積極的に放棄し!究極の隣人愛を実践する人間になろうではないか!
 確かに譲ればそれは実に損な事である!しかし!その目先ばかりの損得で動いては人を魅了する事は不可能である!
 然り!そこに気づく事が!肝要である!
 それでも損は嫌な事であろう。しかし!一旦深呼吸して隣人に一回譲ってみようではないか!
 それによってどれほどの人間が感動を覚え、自身に近づいてくる人間の多さに驚愕するのではないだろうか?
 然り!そうであるが故に!実はそれは損なようで幸福に一番近い道のりなのだ!
 如何なものであろうか?まず一回試しにで良いではないか!
 この自由を放棄する為の「どうぞ」貴方もやってみませんか?
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