去る3月29日志村氏は静かに息を引き取った。
筆者に取っても衝撃的な出来事であった。そこで、今一度志村氏がどのように周囲をその笑いに於いて魅了したのか?そこに触れて考察してみたい。
先ず幾度も放送されている通り志村氏の道のりは平坦ではなかた。もちろん長い下積み生活から氏の芸能人生は始まる訳であるが。
何よりも重視したい点は、常に氏が周囲を笑顔にすることに注力さていた。その事ではないだろうか?
然り!大抵の人間であれば、先ず何を差し置いてでも自身在りき。で行動してしまうのが人間本来の性質である!
しかし!氏は自身を優先せず!先ず何を差し置いてでも周囲の笑顔を大切にされた。そこにこそ!我々が感銘を受け、氏の魅力とする所を感じたのではないだろうか?
然り!何事に於いてもそうであるが、先ず自身在りきで行動する人間には人を魅了する力はないのだ!
ではこの問題に対して我々はどう対峙すれば良いのだろうか?それはやはり一にも二にも自身をしんがりに据える事!この事に他ならないのではないだろうか?然り!何事に於いても先ず自身在りきで行動する人間からは、自ずと人がその場を一人また一人と去り、無念な思いをせねばならず、結局の所そこから得る物は一つもないのが事実である!
では何を基準に自信の価値を判断したら良いのか?という疑問が次に沸いてくる訳であるが、それは自身をしんがりに置く事に注力すれば自ずと周囲が自身の価値を認めてくれ、引いてはそれが自身の価値につながるといっても過言ではないのだ!
では再び志村氏の話題に触れるが、氏は如何にして周囲を魅了したのか?であるが、やはり、エンターテイナーらしく先ず何よりもお客様を笑顔にする事に注力し、そこに対する努力は寸分たりとも怠らなかった、ここに氏の成功の鍵が潜むと言えよう。
氏の死去に、多くの民が涙する訳はここに有るのだ!
ではここから我々が学ぶ事は何か?そこに触れよう。
ここから学ぶ事。それはやはり、我々が生きていく上で先ず何に於いても自身在りきで行動する人間では周囲を魅了出来ない事。また氏のように、自身をしんがりに置き、先ず何を差し置いてもエンターテイナーらしく、お客様の笑顔を大切に、大切に生きて、ひたすら自身には厳格とまで言えるような視線を浴びせ、努力の道を歩まれた。正に!それこそが氏の生きざまであり、氏の生きた証ではないだろうか?
然り!我々は生きていく上で労苦はその日その日に十分ある訳であるが、問題はそれに対して、どう向き合うか?つまり、自身を優先して「辛いから分かってくれ!」と自身を優先し、周囲を顧みないそのように傍若無人に振る舞うのか?それとも氏のように自身がどんなに辛くとも先ず「周囲を笑顔に!」と自身に厳格なまでの視線を浴びせ努力の道を歩むのか?
もうお分かりであろう!然り!周囲を魅了したいのなら、ひたすら自身に厳格な視線を浴びせ、自身を優先せず常に周囲の幸福を願い行動する者。そのような人間であって初めて人を魅了することができるのである!
如何なものであろうか?今まで自身ばかりが「辛い辛い!」と嘆き、自身ばかりが幸福を得る事に注力していた方はこれを機に今一度自身人生を見直されては如何であろうか?そして思い切って!勇気を以って!これからは自身ばかりの幸福を願うのを辞め!先ず周囲在りきで行動する方を選択されては如何であろうか?それでこそ志村氏の死は無駄ではなかった!と言えるのではないだろうか?
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