mixiユーザー(id:65281462)

2020年03月29日13:22

30 view

赦された分だけ赦しなさい!

人間の歴史は闘い数多であるが、そこに「人を赦す」を付け加えれば?世の中は平和になるのではないだろうか?
人間は実に身勝手であり、自由気ままに人生を過ごし、或る時は人を賞賛し、同じ口で今度は人を呪う。そのような生き方は実に損ではないだろうか?
 然り!人間同士がいがみ合っては、結局のところ人を幸せにはしないのだ!
 では何に注力し、平和の使者となるのか?今回はそこに触れて考察してみよう。
 先ず、我々人間が今この場所に生きていることが赦されている。その事実に焦点を当ててみよう。
 実は自身が赦せない以上に自身はその言動に於いて、人を傷つけ、痛めつけ、そんな事を愚かしくも実行してしまうのが我々人間ではないだろうか?
 であるならば、先ず自身が今までの人生で実に多くの「赦し」を体験し、実際に赦されてそこに存在している事、実はそれこそが奇跡なのだ!
何故そう言えるのか?例示を以て解説しよう。
 たとえば、幼少期その手によって、人に何某か危害を加えてしまった。という経験は誰もがお持ちなのではないだろうか?
その時に聞いたはずである!その自身の口によって告白した、謝罪。それをどれ程の多くの方から赦していただいたか?それを思い起すのみでも自身は実に幸いの中で生きていると言えないだろうか?
 であるならば、尚の事自身に対して危害を加えた人物を積極的に「赦そう」ではないか!
 それを可能にするのは他でもない、「愛」の一言に尽きるのだ!
 たとえば、身近な方を自身の手を以て、殴打してしまった。そのような事に対する謝罪を、相手は快く「赦す」方へ、ベクトルを持って行き、実際に赦したとしよう。その赦された側はどれ程の解放感を味わうことであろうか?
 然り!その解放感を味わったなら次は自身の番である!
 誠実に謙遜に、危害を加えた相手を「赦す」のだ!
 そして、そこから得られる相手からの感謝などをしっかり受け止め、その感謝を連鎖する方向へ向けて行ければ、そんな幸いはないのではないだろうか?
 故にだ!人を「赦す」ことは大変な労苦を味わう事ではあるが、敢えてそこに勇敢に立ち向かい、自身から首を垂れ、赦しと感謝を積極的に受け入れ合う。そのような良好な関係を保とうと努力する事!それこそが!我々が最も重視すべき点ではないだろうか?
 であるならば、今日から!積極的に人を「赦す」方向性を保とうではないか!争いは実につまらない物である!
 是非念頭に置き、積極的に人を「赦そう!」それでこそ自身が赦された体験が活きるのである!
如何なものであろうか?それでも人は「赦せない!」と叫ぶのか?それとも「赦し」を実行し、そこに有る感謝と喜び、愛を大切に生きるのか?
結果は我々に任されてはいるが…。
 赦されたのならそこに感謝し!赦された分だけ人を赦そうではないか!
 赦された分だけ赦しなさい!

0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する