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2022年05月19日18:44

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ファスト音楽?w

>>いまやドラマや映画も1.5倍速が当たり前。

生きててつまらないだろ?w
自分でつまらなくしているんじゃないw
1.5倍速が当たり前なら、等速で見ている人の5割増しで時間が余るわけですよね。
その余った時間で何するの??
やる事無くて無駄にお金を使ったり、更に時間を持て余して退屈とか言い出すのなら、生きているのって辛いでしょう。
セリフの間とかシーンの間とか、意味があるわけですよね。
演出であったりとか、セリフの意味を考えさせる時間だったりするわけですよね。
それらをすっ飛ばして筋だけ追って楽しいわけ無いと思うんですけどね。

先日、タイパという言葉を聞きました。

タイムパフォーマンスの事で、かけた時間(タイム)に対する満足度なんだそうです。

なんだそりゃと思ってしまいました。
飲食もコスパ重視で兎角、コスパコスパと耳にしますが、飲み会や普段使いならコスパも理解できますが、旨い物食いたい時や、安いものを食べたい時は、コスパなんて関係なくないですかね。
旨くて安い物と、安くて旨い物の間には、大きな溝があって基本的には別物なんですけどね。

掛けた時間に対する満足度なんて、どの尺度で計るんですかね。
そういう観点からすると、時間が掛かり拘束されるものは、取り合えず除外になりませんかね?
そうやって、色んなものを除外して矮小な世界観で生きていて楽しいのでしょうか。

何でも、昨今の若い方は。「失敗しない」事を目標に生きていらっしゃるとか。

失敗しない=普通

という事なのですが、言い方を変えると

成功しない=普通

の生き方を是としているそうです。
そりゃ、世の中つまんないでしょう。
成功を目指すから、失敗があるわけで、それを糧に次に向かうのでは?
失敗したくないからと出来る事しか取り組まなければ、何の成長も見込めませんよね。
成長しない人生なんて、退屈でつまらない世の中だと思いますよ?

この音楽好き!この部分!!!

と、サビだけ聞き続ける人が居ますが、それ本当に好きなの?と。
言葉狩りという言葉がありますが、長いセンテンスの話の中の一部を切り取り良いの悪いのと言っていますが、それって、話の中身じゃなく、そのフレーズの事ですよね?
それは本質ではなく枝葉のはなしでしょ?と思うわけです。
音楽もそうですよね。
長いセンテンスがあり、その全てを聞くから意味が理解でき感情が揺さぶられるわけでしょ?
第五はここが良いのよと、ジャジャジャジャぁ〜ンだけを聞き、他を飛ばしている物でしょ?
それは作り手の意図する音楽ではなく、そういう聞き方をして良いの悪いのと、好きの嫌いのという話しをするのですか?

私は音楽を聴く方ではありませんが、それでもギターソロの役割は理解していますよ。
その曲に入る前に、その曲を聴くための準備をさせるんですよ。
間奏は、前の歌詞なりフレーズの余韻に浸る時間なんです。
それを経て次に行くわけですよ。
これを飛ばすわけでしょ?
本の斜め読みよりも意味の無い時間ですよね。

作り手の意図を感じる事の無い音楽に何の意味があるのですかね?

それでタイパを言うのですか?
前奏、間奏を飛ばして、気に入った個所だけを聞いて、満足を得るの?
その満足って一体何?

と思ってしまうわけですよ。

生き辛いとか、つまらない世の中とか嘆く前に、無駄な合理化を止めて、必要な無駄を楽しんだ方が良いのでは?
無駄な所にこそ、面白みがあるわけですよ。

甘いものを食べたいからと、砂糖を舐めるんですか?

タイ焼きの側を外して餡子を食べるの?

とんかつの衣を剥いで肉だけ食うの?

雑味=無駄があって初めて旨味が出るんですよ。

衣外してとんかつを食う位なら、最初からとんかつ何て食べないでしょ?


■「ギターソロ不要論」は繰り返されてきた。花形楽器ゆえの苦悩とは
(日刊SPA! - 05月19日 16:22)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=81&from=diary&id=6962689

◆若者の“ギターソロ離れ”は本当か?

 若者の“ギターソロ離れ”は本当か? サブスクで音楽を聞く世代は、曲中のギターソロを飛ばしているらしいのです。16日放送の『スッキリ』(日本テレビ)が特集し、話題になっています。

『スッキリ』が100人に調査したところ、イントロのギターソロを飛ばすと答えた人が14%、間奏のギターソロをスキップすると答えた人が18%。合わせると、3割もの人がギターソロを聞かないという結果になりました。

 “そんなに飛ばして聞いているのか” “まだまだギターソロ粘ってるな” 

 皆さんの感想はどちらでしょう。

◆ネット上で一大論争に
 
 ことの始まりは、アメリカ「ニューヨーク・タイムズ」紙の記事。今年のグラミー賞、ロック部門のノミネート曲の多くには、ギターソロがないと報じられました。これに、ミュージシャンで京都精華大学特任教授の高野寛氏が「ギターソロが始まるとスキップする若者多いみたい」とツイートし、ネット上で一大論争となったのです。

 
 Z世代にとって、いまやドラマや映画も1.5倍速が当たり前。となれば、音楽だって退屈なパートを飛ばしてしまうのも、やむを得ないのかもしれません。ギターソロに限らず、いまどきのヒット曲はイントロも短縮傾向。おまけに全てのパートがサビになるほどキャッチー。




 飽きさせないための刺激に満ちた音楽の中では、ギターソロが邪魔だと感じる人もいるということなのでしょう。
 
 こうして、世代間ギャップの象徴として注目を集めてしまったギターソロ。 

「SEKAI NO OWARI」のボーカル、Fukaseの「今時、まだギター使ってんの?」という2014年のツイートからも、ギターを過去の遺物にする態度が主流なのではないか。そして今や、特に“ダサい”ものとして敬遠されているのではないか。

 ギターを愛する音楽ファンの心中は穏やかではないはずです。



◆ギターソロ不要論は繰り返されてきた

 しかし、音楽史を振り返ると、この数年で初めてギターソロが憂き目を見ているわけでもないのですね。実は40年以上前からギターおよびギターソロ不要論は繰り返されながらも、したたかに生き抜いてきているのです。




 最初は70年代後半。パンクムーブメントが“ギターソロの死”を宣告しました。象徴的な存在が、アメリカのパンクバンド、ラモーンズです。ギターソロはなし、一曲3分、使うコードはせいぜい4つまで。潔い姿勢でロックの初期衝動を追求し、ハードロックやプログレッシブロックのバンドが20分以上もギターソロを披露していたトレンドに反旗を翻しました。
 一方で、ラモーンズがデビューした翌年、1977年はイーグルスの「Hotel California」がリリースされた年でもあります。1分近いギターのアルペジオが印象的なイントロ。曲の後半からは2分以上ものツインギターのソロがエンディングまで続く。問答無用のギターづくし。アンチへの強烈な返答に聞こえてきますね。
 日本のロックギターの第一人者、Charの「気絶するほど悩ましい」がリリースされたのもこの年でした。

◆不要論が巻き起こっては、それを覆すヒット曲が生まれる

 つづく80年代。大量のヒット曲が生まれたシンセサイザー全盛の時代も、ふたたびギター不要論が持ち上がりました。でも実際はどうだったかというと、シンセポップと同じぐらいハードロックやヘヴィメタルが売れた時代でもあったのです。ヴァン・ヘイレンやボン・ジョヴィなどが次々とビッグセールスを記録。

「Jump」や「Livin’ On A Prayer」といった誰もが知っているヒット曲にも、当然ギターソロがあります。テキサスのブギーバンド、ZZトップもシンセサイザーを駆使しつつ、「Legs」や「Gimme All Your Lovin’」などの骨太なギターロックでチャートを席巻しました。



 そして、このあたりから日本でもギターソロのあるシングル曲がヒットしだします。そのパイオニアが、BOØWY。1987年リリースの「MARIONETTE」は、布袋寅泰のギターを大々的にフィーチャーし、鮮烈な印象を与えました。
 
 ハードロックが下火になった90年代も“ギターソロ不要論”が巻き起こりましたが、異なるジャンルで生き残っています。ブリットポップの雄、オアシスの「Don’t Look Back In Anger」に、グランジロックの立役者、ニルヴァーナの「Smells Like Teen Spirit」。形は変わっても、きちんと間奏のソロは残っていますね。

 邦楽シーンでは、なんと言ってもB’z。ミリオンヒット15曲中、すべてにギターソロがある! 特に「Love Phantom」は、稲葉浩志のボーカルと同じくらい松本孝弘のギターが歌いまくる、忘れがたい一曲です。


◆ストリーミングサービスが変えた音楽の聴き方
 
 そして現代。「もうみんなギターソロなんて聞くヒマがないんだよ」と語るビリー・ジョー・アームストロング(グリーン・デイ)をよそに、ギターヒロインが活躍する時代になりました。

 セイント・ヴィンセントやH.E.R.など、新世代の女性アーティストが素晴らしい演奏で楽しませてくれています。特にH.E.R.の活躍は目覚ましく、2020年のグラミー賞でのライブや、2021年のNFLスーパーボウルのハーフタイムショーで「America the Beautiful」をストラトキャスターの弾き語りで披露した姿は、改めてギターという楽器の美しさを教えてくれました。
 今後、日本でもソロを弾きまくる女性ギタリストがチャートを賑わしてくれたら、どんなに楽しいことでしょう。
 
 こうして振り返ると、ギターのサウンドが途絶えた時代はただの一度もないことがわかると思います。

 確かに、サブスクという鑑賞方法は音楽の聴き方や作り方を変えています。それによって、ギターソロが整理縮小のターゲットにされてしまう状況も避けがたい現実なのかもしれません。

◆折に触れてオワコン扱いされる理由は…

 それでも、ギターソロにはいつの時代にも人の心をとらえて離さない魅力がある。ニューヨーク・タイムズは、こう表現しています。

<しかしながら、ソロという形式が持つ感情を呼び起こす力は時の流れに耐えうる。単にエンターテイナーとしてのプライドを見せつけたり、楽器の腕前やアーティストとしての確固たる自信があることを示すためにギターソロを弾くのではない。最高のソロとは、アーティスト自らの中にある甘美な危うさを惜しげなくさらけ出す瞬間のことを言うのだ。>
(『Why We Can’t Quit The Guitar Solo』2022年4月2日配信 筆者訳)

 折に触れてオワコン扱いされるのも、そもそもギターが花形楽器だから。朝のワイドショーで盛り上がれるぐらい、まだまだ廃れちゃいない。

 色々なものが合理化されていく世の中だからこそ、ギターソロの豊かなムダがますます貴重になっていくのだと思います。

文/石黒隆之
日刊SPA!

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