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2021年11月29日19:31

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承認欲求と自己満足

基本的には、自己満足で十分のはずなんですよね。
人から認めて貰える事って、ほぼ無いはずなんですよ。
ただ、頑張った結果、評価が得られる結果が残せる事があり、そこで初めて、人から認めて貰えるわけですよね。

これが普通でしょ?

昨今、承認欲求がどうのこうのという話が横行し、ここでも、承認欲求があるのが普通であるかの如く書かれていますが、他人から承認を得たい、認めて貰いたいという人は、死ぬほど頑張って、結果を出しているわけですよね。
その欲求がモチベーションとなって頑張れるわけですよね。
ですが、昨今言われる承認欲求って、ちょっと違う気がするんですよ。

一時期、自己満足を否定する話が出ていました。もう20年程前でしょうか。
もっと前だったかも知れません。

目標値が低い人に向け、自己満足じゃダメだという話し。
特殊な趣味な人に対して、所詮は自己満足だろ?という話し。
会議などで持論を展開し押し付ける人に対して、自己満足を押し付けるなという話し。

そのような時期を経て、いつしか、自己満足=意味がない、ダメという認識が固定化されてしまったのではありませんかね。

何か行動を起こす際、最低限自分を満足、納得させる結果を求めるわけですよね。
ですから、その行為の最小の評価は、自己満足なんですよ。
ですが、その自己満足はダメと思っている人達が居た場合、何を求めて行動をするのか?という話なのではありませんか?

それが他人からの評価=承認という事になり、本来であれば自己満足で十分な事でも、他人からの評価を得た狩り、承認欲求肥大という話しになっているのではありませんかね。

これが、自分のやりたい事をやって、それを求めるのであれば、まだ救いがあるのですが、恐らく、手段と目的が逆転してしまい、承認してもらう為の行動を取るようになってしまっているのではありませんかね?

「イイネ」が貰えるような服を着て、「イイネ」が貰えるような人と、「イイネ」が貰えるような店に行き、「イイネ」が貰えるような料理を食べ、「イイネ」が貰えるような調度品で固めた家に帰る。

本来なら、これらすべて嗜好の話で、自分が満足できるかどうかが基準となる行動のはずですよね。
自己満足を求めて選択すれば、自分の欲求は満たされるはずが、自己満足がダメという知識が邪魔をして、自分を満足させるよりも、他人から評価を貰える選択を繰り返しているわけでしょ?

挙句、性的な方向に進んでしまう人も居るわけですよね。

これを承認欲求と言うのでしょうかね・・。
私には、代用自己満足としか思えないんですよね。

他人が求めそうな事をして、他人が認める行動を繰り返し、自分の満足よりも、他人の評価を優先する。

それって生きていると言えるのでしょうかね?
単に、飯食って糞して寝るだけの存在なのではありませんかね?
脳みそを他人に預け、評価を求めて行動し、自分の欲求を満たしていないわけですよ。
それの何処が承認欲求というのでしょうか。
だから、さしたる労を要さない行為を繰り返すわけですよね。

生きる上で最低限必要なのは、他人からの承認ではなく、自己満足なんですよ。
自分が満足できるかどうかが、最初の判断基準なんですよ?
その次に、その行為が、他者に類を及ぼすかどうかの判断が入るわけですよね。
どうしてもやりたい事で、他人に類を及ぼす行為をするのなら、それ相応のペナルティーを受ける覚悟が必要なわけですよ。ですが、自己満足は得られるわけです。
他人に類を及ぼさない行為であれば、好きにすれば良いんですよね。
その行為の結果、素晴らしい結果や成果が出れば、そこで初めて、他人からの承認を得られるわけですよ。
ですが、それ目的ではなく、あくまで結果の付随物で、そこで得るのは自己満足なんですよ。

こういう極普通の事が、崩れてしまっているのではありませんかね?

本来なら、他人から受ける事が難しい評価を欲しがり、本来なら満たすべき自己満足を置き去りにして、承認欲求が!!と言っている姿を見ると、キ〇ガイなのかと思ってしまうわけです。

まず、自分を満足させなさいって。
その満足している自分の姿が矮小であれば、他人の評価なんて得られるはずが無いのですが、それは極普通の事なんです。
他人の評価が欲しければ、それ以上の事をして、成果を残しなさいという話です。
それは普通の事ではなく、とても困難な事なんです。

そういう極普通の事を教える教育は、廃れてしまったのでしょうかね。

追記:

先日、海外でSNS等での「イイネ」が欲しく自己崩壊する若者が増えているといった趣旨のニュースが流れていました。
そりゃそうだよねと思った次第です。

使う画像や動画は、加工したもので、自分とは似ても似つかない人物が得る評価欲しさに、自分の望みとは異なる事をして評価を得ているわけです。
そこで得られる評価に何の意味や価値があるのでしょうかね。
偽りの自分が得る評価で承認欲求が満たされるのであれば、それはそれで精神が崩壊しているのでしょうし、それに満足できず自己崩壊する方が、まだ精神的に健全なのかも知れません。





■人を怪物に変える「承認欲求」に振り回されやすい人とは
(Business Journal - 11月29日 15:01)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=175&from=diary&id=6757990

 周囲に認められたい。誰かに誉めてもらいたい。自分の功績に気づいてもらいたい。


 こんな気持ちは誰にでもあります。承認欲求は誰もが持っているもので、持つこと自体は自然なことですし、満たすべきものでもあります。問題は承認欲求との付き合い方。上手に付き合い、自分を成長させる糧にできる人もいれば、膨らみすぎた承認欲求が制御不能になり、振り回されてしまう人も。


 肥大化しすぎた承認欲求は自分自身を苦しめます。ここでは『承認欲求に振り回される人たち』(榎本博明著、クロスメディア・パブリッシング刊)から、承認欲求が強すぎる人の特徴を紹介します。


仲間に乗せられて、ついバカなことをしてしまう

 「バイトテロ」という言葉が生まれたのは数年前。アルバイト店員が同僚と悪ふざけした写真や動画をネット上に投稿し炎上。店や企業に多大な迷惑をかけてしまったのがこの言葉が広まるきっかけでしたが、それ以後もこうした炎上はたびたび起こります。


 こうした悪ふざけは一人ではやりません。一緒にいた仲間に乗せられてやってしまったところが多分にあったはずです。そこには仲間うちで注目されたい、笑いをとりたいという承認欲求があります。


 仲間に乗せられると気が大きくなって冷静な判断ができなくなる人は要注意。承認欲求に振り回されやすい人かもしれません。


匂わさずにいられない
 あなたの職場に「忙しすぎて全然寝る時間がない」「昨日も徹夜しちゃったよ」と「忙しいアピール」「寝てないアピール」をする同僚はいませんか?


 自分がいかに仕事をしているか、いかに忙しいかを匂わせてくるこのタイプも、「周りにすごいと思われたい」という承認欲求が暴走気味。実際はそんなアピールをしても「仕事がたまるのは要領が悪いからでは?」と思われるのがオチで、特に「すごい」とは思ってもらえないものですが、それでも匂わせずにいられないのです。


 周囲にそういう人がいるなら、人の振り見て我が振り直せ、ということで自分が周りから煙たがられる匂わせをしていないか振り返ってみましょう。


つい大口を叩いて自分を追い込んでしまう
 あえて目標を周囲に言うことで自分にプレッシャーをかけ、逃げ道を塞ぐことで自分自身を奮い立たせる人がいます。「公言したからにはやらないと格好がつかない」という状況を自ら作り出すこのタイプは、モチベーションが高くストイックな人に多くいます。


 有言実行を自分に課すことで成長できるのなら、悪いことではないはず。ただそれが「周囲から有能な人物だと認められたい」がためなのだとしたら、その有言実行には痛々しさがつきまといます。


嫌と言えない

 「人から認められたい」という承認欲求の根本的な感情は、裏返すと「嫌われたくない」でもあります。嫌われたくないあまりに人間関係で本音を出せないなら、ストレスがたまるばかりです。


 友だちからの誘いを断らない「人づきあいの良さ」は一見長所のように見えますが、実際は「嫌われるのが怖いから誘いを断らないだけ」ということも考えられます。つきあいの良さが重荷になっていると感じたら、その裏には大きな承認欲求が潜んでいるのかもしれません。





 時に冷静な判断を狂わせ、ストレスのもととなり、対人関係を悪化させる原因になる承認欲求。本書ではこの承認欲求との上手なつきあい方を解説していきます。


 繰り返しになりますが、承認欲求は悪いものではありません。持っていて当たり前のものであり、満たすべきものです。周囲に承認欲求の虜になってしまっている人がいる人、または自分自身の承認欲求のせいで苦しんでいる人にとって、本書は現状を変えるきっかけになるはずです。(新刊JP編集部)
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。


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