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2020年01月13日17:41

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女性という切り口からは、何も見えてこないのでは?

ジェンダーレスと言いながら、男性、女性という切り口で物事を語る習慣、捉えてしまう習慣は根強いようです。
仕事を持っていれば、プライベートの人間関係を維持していくのは難しく、知人程度の付き合いを友人と言ってしまう希薄な人間関係であれば、尚の事縁が遠くなってしまうのは、男女問わず否めないのかと。
地域社会との密接な関係があってこその、かつての女性の人間関係が、今や、働くのが当たり前の時代になり、男性同様の会社が中心の人間関係に移行しても不思議ではなく、定年退職後の粗大ごみ扱いされていた男性同様に、無趣味の女性が居ても何の不思議もない話です。

>>女性は、人間関係を構築するのが男性に比べてうまいと思いますし、フットワークの軽さもある。その能力を遺憾なく発揮して、周囲の人と仲よく楽しく過ごしていただきたいなと思います。

これこそが、今ある問題の根幹を見えなくしてしまう先入観なのでは?
人間関係構築の上手い下手って、完全に個人の資質の問題で、男女の違いは比較論の粋を出ず、人間関係の構築が苦手な女性もいれば、特異な男性も居て、下手に男女の違いは無いと思うんですよね。
そう言う先入観が、女性の孤独死を増長させる事になるのでは?

孤独死は、女性の男性化ではなく、仕事一筋の社会人固有の問題として捉えるべきではないのでしょうかね。
家族が居ないからこそ生じる孤独死なわけで、家族が居れば避けられる死のはずなんですよね。
ただ、その問題に踏み込む阻害要因が、「結婚を進める=セクハラ、女性蔑視」という差別主義者が推し進める概念なのではないのでしょうか。

何故、今の世の中結婚を避ける方向に話が進んでいるのでしょう。
働きたい女性は働き、家族を持ち大切にしたい女性はそういう道に進めばよいのに、後者を否定する話しか出てきませんよね。

何故?

と思ってしまうわけです。
先にも述べましたが、本当に女性の方が人間関係を構築するのが男性よりもうまいのでしょうかね?
女性がうまく見えるのは、女性同士がまとまって行動しているからに過ぎないのでは?
それは上手いのではなく、そうする必然があるからで、その必然とは、女性は弱者であるという男女ともに持っている共通認識からだと思うんですよね。
女性が群れていれば、男性が寄っていくのは当然の話で、その結果、そこに男女の人間関係が構築されるわけです。

ただそれだけの話だと思うんですよね。

一方男性は?と言えば、人間性を横において利だけで人間関係が構築出来てしまうんですよね。
その結果、個と個で関係を持ててしまうわけです。
ですが、利だけ繋がる人間関係ですから、その利が無くなれば疎遠になるのも必然で、女性が社会に出て、社会人として自立してしまえば、群れる必要性が無くなり、社会人として利の繋がりを求めるようになるのは当然で、その結果、利が薄くなるにつれ疎遠になる関係になっても当然の成り行きだと思うんですよね。

専業主婦からのPTA、地域社会との繋がりを経て得られていた人間関係は、子供という共通の話題に事欠かず、そこから得られる相手の人間性と自分の人間性との付き合いから、利ではない繋がりを得られていたものが、社会に出る事で、人間関係の構築に仕方が変わったという話なのではないのでしょうかね。

>>家族という単位が暮らしの基本だった時代とは、少し違う意識が必要ですね。

こういう話では無いと思うんですよね。
家族を持たずに仕事をしていた男性が、孤独死という最後を迎え、家族を持たずに仕事をしていた女性が、同様に孤独死という最後を迎えるとう状況があるのであれば、必要なのは、違う意識ではなく、家族を持つことなのではないのでしょうか。

家族を持たなかった結果、性別を問わず孤独死という最後を迎える人が一定数いるという現実が見えてきているにも関わらず、その結論を意識の持ち方に求めるのは、むしろ異常な気がします。

そんなに家族を持つという事を今の日本は忌避される事なのでしょうか?

この手の記事を読んでいて感じるのは、独身でいる事を推奨しているのか?という所です。
確かに結婚をする事で、独身とは異なり様々な制限を受けるのは確かです。
ですが、それとは異なる幸せを得られる事も事実なんですよね。

余談ですが、戦後、米国が日本を植民地化しなかった理由は、その人口の多さと民族の結束の強さからだったからと言われています。日本を米国の所属にする事で、数十年後には、日本人の大統領が生まれてしまうと当時は考えられていたそうで、それを避け、日本を骨抜きにするために、独立国家として維持させ、管理統括するにとどめると言う政策が取られたとか。
放送、教育に関与し、時間を掛け日本人の意識改革を行い、日本人の結束力を弱める政策が取られたと言われていました。
正に臨んだ状況が作られたわけです。

北半球で唯一キリスト教の支配を受けなかった国と言われている日本です。
キリスト教圏からすれば、敗北の象徴とも言える国なわけです。
日本人の宗教観は、とうの昔に壊されているわけで、教育も、歪んだ自由と個性を増長させるような形になってしまっています。
放送=マスメディアとなるのでしょうけど、それらは、強かった時代の日本、日本人の習慣を否定し、批判を続けています。

女性の社会進出を推し進める過程で感じていた事なのですが、女性の社会進出の阻害要因は、「結婚」という制度と決めつけ、その阻害要因を廃除しようとしているのでは?と。
全ての方向性が、女性が結婚しないで自立する事を求めているように感じられるんですよね。
その一方で、日本人男性をダメにする方向の話が推奨されているようにも感じられるんですよ。

日本人女性が結婚という制度を忌避し、結婚するのであれば、その対象を日本人男性以外に求めていった先に何があるのでしょうかね。

既に日本は、日本人だけでは維持できない位に人的に弱体化してしまっています。
仕事があるにも関わらず、仕事を選び過ぎて無職の人がいるのが実態です。
その挙句、社会との距離が開き、孤立化が進んでいるのではないのでしょうかね。
その選ばれなかった職に、外国人が入りこんできているわけです。
単一民族国家としての日本から、多民族国家への道を進み始めようとしている日本です。
結婚をしないように推奨する風潮、敢えて子育てが難しくなるような価値観の押しつけ、その結果、日本人の人口が減少し続けているわけです。

その先に、何があるのでしょうかね。
私は既に人生を折り返していますが、あと何年、日本という国が、日本のままで居られるのでしょうかね。




■解剖台の上の「異状死」から見えてくる、現代女性の苦しみとは? 現役法医解剖医・西尾元氏インタビュー
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=140&from=diary&id=5934133

 ここ数年、法医学を扱うテレビドラマが話題になっている。記憶に新しいのは、石原さとみさんが女性法医解剖医を演じる『アンナチュラル』(TBS)だが、このたび「法医学と女性」という切り口を、わたしたちにより身近なかたちで見せてくれる書籍が刊行された。


『女性の死に方』(西尾元/双葉社)

『女性の死に方』(西尾元/双葉社)は、現役法医解剖医として、20年にわたり約3000体の遺体と向き合ってきた著者、兵庫医科大学 法医学講座主任教授の西尾元先生が、実際の解剖経験にもとづいた23の「死」のエピソードから、現代の女性が抱える痛みや苦しみについて考察したものだ。

「今後、『どのような死を迎えるか』という問いは、女性にとって避けられない重要なテーマになる」──そう語る西尾先生が感じる、「女性と死」にまつわる変化とは? 「死」の現場に立つ法医解剖医だからこそわかる、「生」を充実させるヒントとは? 西尾先生に、お話をうかがった。

■死の現場から見えてくる、女性の“男性化”現象
──法医学とは、どんな学問なのでしょう。

西尾 元(以下、西尾) 法医学というのは、法律的な判断が必要な場面──典型的には裁判ですが、そういった場で医学的な知識が必要になったとき、その答えを説明するものです。日常的には、警察からの依頼にもとづいて解剖をしています。解剖の目的は、基本的にはふたつ。ひとつは、警察が行っている犯罪捜査のためですね。死因はなにか、薬を飲んでいたのではないかといった警察が知りたい情報を、解剖で調べていきます。もうひとつは、犯罪には関係がないけれど、死因がわからない遺体の死因を突き止めること。最近はひとり暮らしで亡くなる人が多いので、死因がわからない遺体が増えているんです。

 法医学は、主に死体を扱います。ですから、医療関係者以外のみなさんと関わりがあるのは、いわゆる「死」の場面ですね。たとえば、人が亡くなると「死亡診断書」をもらいますが、それを市区町村役場に持っていくと、亡くなった人の戸籍を抹消することができ、さらに「埋葬許可証」をもらえます。つまり、死亡診断書がなければ、遺体を火葬することができないんです。だから人が亡くなったときは、ほとんどの場合、病院で死亡診断書が発行されるのですが、ときどき病院でも「病気で亡くなりました」とはっきり言い切れない場合がある。そういうときは、法医学が関わることになります。

 法医学の目的は亡くなった人の死因を決めることですが、生きている人の役に立つこともあります。たとえば解剖したご遺体が、結核などの感染症にかかっていることがわかった場合、周囲の人にも感染していないか検査をするとか、感染防御ができるようになりますよね。死因を決めるだけではなく、生きている人に役立つ情報を手に入れることもできるんです。

──「女性と死」というテーマを意識されるようになったきっかけは?

西尾 はっきりと、この時点からというタイミングはないんですけどね。今のところ、解剖する遺体の約7割は男性です。解剖される男性には、典型的な亡くなり方があります。定年後、50〜60代でひとり暮らしをしていて、寂しさからお酒を飲んで、血を吐いて亡くなるというパターンですね。ところが最近、こういった亡くなり方をする女性のご遺体を解剖することが出てきている。女性の死に方が、少しずつ変わってきているのではないかと思うようになりました。

 働く女性が増え、結婚を選ばない女性も増え、定年後に所属コミュニティを失うなど、女性の“男性化”現象とでもいうべきものが起こっているのかもしれません。ひとりで生活できる人が増えているので、やはり死に方としても、ひとり暮らしゆえの亡くなり方をする人が増えています。「生」や「死」に対して、家族という単位が暮らしの基本だった時代とは、少し違う意識が必要ですね。

■社会との接点を持つことで、避けられる死がある


 本書で取り上げられている解剖例はさまざまだ。アパートでひとり暮らしをしていた高齢女性の凍死遺体。美しくなるための痩せ薬や脂肪吸引手術が原因で命を落とした女性の遺体。貧しさから内縁の夫に売春を強要され、その夫から受けたDVが原因で亡くなり、暮らしていた軽ワゴン車の中で発見された女性のミイラ化遺体……。

 西尾先生は、配偶者間における犯罪の被害者の男女別割合(傷害や暴行は女性被害者が圧倒的に多いが、殺人だけは、加害者となる割合に男女差がほとんどなくなる。)や、20代と40代の女性が増えている年間自殺者数など、「女性と死」にまつわるデータも挙げつつ、解剖台に上がる「異状死」──普通ではない死の裏側に、老いや貧困、孤独、病気、家族関係など、現代社会の問題を指摘する。

──「異状死」とならないためには、「社会との接点を作っておく」ことが大切だと書かれていましたが、具体的にはどのように行動すればよいのでしょう。

西尾 これは、必ずしも「友達を作れ」ということではありません。もちろん、ひとり暮らしにはひとり暮らしの気安さがありますし、今、家族がいるという人でも、最終的にはひとり暮らしになる可能性がある。

 対策は、ご本人の年齢にもよると思いますが、たとえば医療の分野なら、高齢になるとなにがしかの病気を持つことになり、病院にかかることが増えてくると思います。そういったときに、面倒見のいい、気の合うお医者さんを探しておくことは、重要なのではないかなと思いますね。

 今は、訪問看護なども公的なサービスとして受けられる仕組みが整っています。行政や、訪問看護を行っている病院とうまくつき合い、友達や家族以外にも関係を作っておけば、ひとりになることが避けられますよね。ひとりのときに倒れて亡くなるのは仕方がないことですが、少なくとも死後、誰にも発見されないことはなくなります。実際に、ひとり暮らしの方のご遺体を見つけるのは、家族ではないことが多いんですよ。友人、市役所など公的な機関の人、訪問看護のスタッフなどに発見されています。

──この本は、どういう人に読んでほしいと思われますか。



西尾 女性を対象にしていますので、女性のみなさんに読んでいただきたいですね。

 最終的に、自分がどんな死を迎えるかは、それまでの自分がどれだけ充実した生活を送ってきたかによると思うんですよ。その比重が大きければ、どんな結末も受け止められると思いますし、理屈でいうと、自分が亡くなったときに、自分の死体は見えないんです。そういう意味では、そんなに怯える必要もないのではないかと思いますね。死後、発見までに時間がかかって腐っていくのが嫌ならば、その対策を取ればいいだけですし、避けられる死もあります。女性は、人間関係を構築するのが男性に比べてうまいと思いますし、フットワークの軽さもある。その能力を遺憾なく発揮して、周囲の人と仲よく楽しく過ごしていただきたいなと思います。

取材・文=三田ゆき 撮影=内海裕之


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