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2019年12月10日19:10

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体罰と暴力

報道する側が区別をしないとどんどんおかしな方向に話が向かっているのでは?

加害者が自分の罪の軽減を目的として、自ら犯した罪を過少に表現するのは世の常です。
加害者が何と言おうが、報道する側は、その責任において、自らの言葉で報じる義務があるのではないのでしょうかね?

だから、政治家が彼是何を言おうが、報道する側は自らの良心に基づき、自らの言葉で報じるわけですよね?

首を捻挫させるような行為は、罰の範疇ですか?
指導の一環で通るのですか?

仮にその意図が無くとも、結果、怪我を負わせたのであれば、過失であっても傷害罪ですよね。
であれば、それは体罰ではなく暴力なんですよ。

親の問題もそうですよね。

親が何と言おうが、躾で子供を殺すなんてありえないんですよ。
故意か過失化は別にして、殺人ですよね。
そこに「躾」などと言う言葉を使うから、おかしな話になってくるのでは?

きちんと立てない生徒がいたとして、昔なら、廊下に立たせて終わった話なんですよね。
居残りで反省文を書かせて終わる話なんですよ。

所が、廊下に生徒を立たせると、義務教育で教育を受けられないような罰は法律に違反だのなんだのと言い出す馬鹿が湧いて出て、それを黙らせることが出来ずに、受け入れてしまったから面倒な話になってしまったのでは?

勉強だけが教育ではありません。
授業を受ける姿勢を正すのも教育の一環です。

これで切り捨てれば良いだけの話のはずなんですよね。
また、廊下に生徒を立たせるのを体罰と言い、暴力行為と同一線で語る馬鹿も居たわけですよ。
辛く無ければ罰にはなりませんよね。
それを暴力以外で行っているわけですから、是とすべきを混同したために、教師の指導の手段がどんどんと狭められ、その結果が、生徒を増長させ、それを正すために暴力行為に及ぶことになってしまっているのではないのでしょうかね?

この記事では、怪我を負わせる行為に対して、暴力としています。

その一方で、教育委員会は、体罰に当たるかどうかと言う判断をするそうです。

体罰なら怪我を負わせても仕方が無いとするのでしょうかね?
それとも、暴力=体罰とし、体罰と断じた場合、体罰を行ったという事で処罰するのでしょうか。

何れにしても、言葉だけで小学生を指導・教育しろって、無理なんだだと思いますけどね。





■男性教諭が児童に暴行=首にけが、登校できず―兵庫・姫路
(時事通信社 - 12月10日 17:01)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=5896625

 兵庫県姫路市内の小学校で、男子児童が50代の男性教諭から暴力行為を受け、けがをしていたことが10日、市教育委員会への取材で分かった。

 市教委によると、教諭は11月29日、新人教員の指導係として3年生の授業に立ち会った際、姿勢を正そうとして児童に触れたところ、別の男子児童から「嫌がっとるやん」と指摘され立腹。男子児童を教室から連れ出し、顔を両手で挟んで正面を向かせようとした。

 児童は首を捻挫するなど全治2週間ほどのけがで、今月3日以降、登校できていないという。

 児童の保護者から2日に連絡があり行為が発覚した。市教委は事実関係を調べ、教諭の行為が体罰に当たるかを判断する。 
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